残された原酒はわが子

 埼玉県秩父市で肥土伊知郎さん(55)が営む「ベンチャーウイスキー」の歴史は、祖父が設立した羽生蒸溜(じょうりゅう)所で造られてきた400樽(たる)の原酒に端を発する。先祖から続く酒造会社の経営を父から引き継いだものの、2000年に経営は破綻し、最終的に会社を身売りすることになった。ところが、ウイスキーの原酒は引き取ってもらえず、破棄が決まる。
 「会社を手放すのはやむをえないが、わが子のようなウイスキーを見殺しにできない」。そう考えた肥土さんは、福島県郡山市の老舗酒蔵「笹の川酒造」に樽を預かってもらい、自らは起業してベンチャーウイスキーを設立すると、原酒を世に送り出す努力を始める。熟成を続けながら、原酒を組み合わせたり、樽を詰め替えたりして、それぞれの個性が引き立つように味を調整し、父が1988年に蒸留した原酒を使ったボトル600本を第1号の商品「イチローズモルト ヴィンテージシングルモルト1988」として発売。2008年には古里・秩父に建設した蒸留所で新たな原酒造りに乗り出した。

「時代も大きさも関係ない」バーで得た確信

 国内の単独での蒸留所建設は、1973年のサントリーの白州蒸溜所とキリン・シーグラムの富士御殿場蒸溜所以来、35年ぶりのことだった。建設前、金融機関など周囲からは「ワインなら分かるけど、ウイスキーなんて無理」と反対の声があがったが、肥土さんには「時代も大きさも関係ない。良いものをつくれば成功する」という自信があった。
 ウイスキーの国内消費量は1983年をピークに減り続けていたが、90年代に通い始めたバーでは年齢も性別も様々な客がウイスキーを楽しんでいた。同じような造り方をしているのに個性があり味が違う。ワインのような世界がウイスキーにもあった。遠く離れた国で、たった3人で造ったウイスキーもあった。この魅力に多くの人が気づけば、ウイスキーもバーも決してなくなることはないと、このとき確信していたからだ。
 地元の大麦やミズナラを使った樽も使用するなど、材料や製造工程にこだわる肥土さんのウイスキー造りは海外の品評会で受賞を重ねた。2008年以降のハイボールブームや世界的なシングルモルトの人気、NHK連続テレビ小説「マッサン」の影響でウイスキー消費は回復し、時代も後押しした。国内ではウイスキーの蒸留所を建設する動きが15年以降加速し、肥土さんは「クラフト蒸留所のパイオニア」となった。

ピカピカの第2蒸溜所の蒸留器

第1と第2、異なる味わい

 肥土さんは2019年に念願の第2蒸溜所を稼働させた。第1蒸溜所から数百メートル離れた場所にあり、生産量は第1蒸溜所のおよそ5倍。少量生産のため、商品が品薄となりやすく、長期熟成させる原酒を確保しづらいというこれまでの課題を克服する狙いもあった。
 第1蒸溜所が蒸留器のなかにパイプで蒸気を通す間接加熱方式だったのに対して、第2ではガスで直接加熱する直火(じかび)方式を採用するなど、異なる味わいとなるように工夫した。「香りの総量や甘みは第1の方が多いが、第2は力強さと余韻の長さが特徴」と肥土さんは教えてくれた。

海外の品評会で授かった賞の数々

ジャパニーズウイスキーとは

 順風満帆に航海を続けるイチローズモルトだが、ウイスキーの人気は浮き沈みが激しい。2008年以降続くウイスキーブームもいつ下火になるか分からない。時代に左右されず、日本に真のウイスキー文化が根付くためには、どんなことが必要なのか。肥土さんは「ジャパニーズウイスキーとはなんぞやということを明確にする必要がある」と考えている。
 スコットランドで造られるスコッチや、アメリカのバーボンといったウイスキーは、原材料や熟成させる樽の材質や期間、製法に関する規定があるが、日本では、これまでウイスキーの定義が明確でなかった。このため海外から輸入した原酒を日本で瓶詰めし、ラベルを貼ればジャパニーズウイスキーを名乗ることができる。瓶にどこの国の原酒を使っているか書く必要もない。醸造用アルコールを混ぜることも認められている。

飲食店支援ボトル「505」は、海外原酒を使っていることがわかるようにラベルに世界地図とワールドブレンデッドウイスキーの文字がある

 「おいしいウイスキーを造るために輸入原酒を使うのは悪いことでないが、消費者が選択できるようにしないといけない。自分が飲んでいるものが何かを分からない現状は変える必要がある。そして、世界的に高い評価を得るに至ったジャパニーズウイスキーとはいかなるものなのか。それを考える時期ではないでしょうか」と肥土さんは言った。こうした声に後押しされるように、日本洋酒酒造組合は2月16日、「ジャパニーズウイスキー」と表示するには、水は国内で採取し、蒸留など一連の作業工程は国内で行うことや、木製樽で3年以上、国内で貯蔵することなどを求める基準を公表した(※)。

「自分で蒸留した30年物のウイスキーを飲むのが夢」と語る肥土さん

いつか30年物のウイスキーを

 肥土さんは時々、父が蒸留し30年熟成させてきた原酒を味わう。2004年時点にはなかった、華やかでフルーティーな味わいが現れている。「口に含むと、走馬灯のように、会社が経営破綻し債権者を回って説明に追われたどん底の頃が思い出されるんです。あの頃があったから、今があるんだって」。自分で蒸留した30年物のウイスキーを飲むことが人生の目標だ。そのとき73歳。それまで健康で、会社も存続させなければならない。その夢がかなえば、「最高のウイスキー人生だった」と思えるはずだ。(クロスメディア部 小坂剛)

※ 日本洋酒酒造組合が公表した基準はこちらから

肥土伊知郎(あくと・いちろう)】 1965年8月、埼玉県秩父市生まれ。東京農大農学部醸造学科卒業後、サントリーに入社して営業を担当。97年に父の経営する酒造会社に入るが、同社は営業譲渡されて人手に渡る。廃棄予定だったウイスキーを引き取り2004年に「ベンチャーウイスキー」を創業し、残された原酒をもとにイチローズモルトを発売。軽井沢蒸溜(じょうりゅう)所やスコットランドのベンリアック蒸溜所でウイスキー造りを学び、08年に単独のウイスキー蒸留所としては35年ぶりの蒸留所となる秩父(第1)蒸溜所を建設してウイスキー造りを開始。19年には秩父第2蒸溜所を設立した。この間、「ワールド・ウイスキー・アワード」で世界一にあたる賞を受賞するなど、海外の品評会で高評価を獲得する。

<筆者紹介>
小坂剛(こさか・たけし) 読売新聞クロスメディア部次長。秋田支局、社会部、メディア局などを経て現職。お酒と食べ物に好き嫌いなし。著書に「酒場天国イギリス」「あの人と、『酒都』放浪」(いずれも中央公論新社)。酒文化の紹介がライフワーク。

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