たとえ外に出られなくても、おいしいお酒を楽しみたい。一日の終わりに、休日の昼さがりに。居間や寝室、縁側で。心と体に染み入る幸福の一杯。お酒を愛する人々の物語と、通の家飲みをお届けします。

忘れ得ぬ蒸留所の風景

 文豪・夏目漱石が英国留学中に滞在したことで知られるスコットランドの保養地・ピトロッホリーから3キロほど東にあるエドラダワー蒸留所。この地を訪れたとき、鈴木徹さん(57)は、小川の先にたたずむ農家のような蒸留所の景色に、「ウイスキーのラベルにある水彩画そのまま。ついに、スコットランドに来たんだな」と感慨に浸った。
 高校を卒業し、デザイン業界に身を置いた後、バーで働き始めた。ウイスキーが好きで、とりわけスコットランド産のスコッチが舌に合った。酒税の関係で今より高額だったが、バーテンダーとしてカウンターに立ち、あらゆる銘柄を飲み比べては記憶した。「いつか本場に行ってみたい」と考えていたとき、常連客に誘われて現地へ。1990年代半ばのことだった。東京・自由が丘のバーでマネジャーをしていたが、事前に得られる情報は少なかった。蒸留所見学も初めてで、すべてが新鮮だった。
 それから24年。鈴木さんはスコッチ一筋に歩み、現在はJR山手線の目黒駅近くで小さなモルトバーを営んでいる。提供するのは約700本のスコッチで、そのほとんどがシングルモルトだ。

英語で「モルト・ウイスキー・バー」と手書きされた入口の看板

シングルモルトの楽しみ

 世界中に流通するスコッチの多くは、複数の蒸留所の原酒を組み合わせてバランスをとったブレンデッドだが、単一の蒸留所の原酒でつくるのがシングルモルト。同じ蒸留所の原酒でも、樽(たる)で寝かせる熟成の年数や樽の種類や置き場所によって味や香りは異なる。
 ワンショット約30ミリ・リットル。氷は入れず、水やソーダでも割らず、そのままストレートで。客はゆっくりとグラスを近づけ、香りをかぐと、しばし恍惚(こうこつ)の表情を浮かべたあと、そっと口に含む。
 目を閉じて瞑想(めいそう)の世界へ。赤い果実、ドライフルーツ、干し草、花、ハーブ、スパイス、ハチミツ……。幾つもの香りや味わい。原酒を生み出した蒸留所の風景に思いを馳(は)せる。これぞモルトの愉楽なのだろう。「よくいらっしゃる方は、そんなに語らず、静かに楽しんでいる方が多いです」と鈴木さん。
 スコッチは、大麦発芽(モルト)を糖化、発酵させて蒸留した透明な液(ニュースピリッツ)を、貯蔵庫でオーク(ブナ、ナラなど)の樽に原酒を詰めて3年以上熟成させる。蒸留も熟成もスコットランドで行うのがルールとなっている。

カウンターの端から端まで並んだボトル

 味を大きく左右するのが、熟成のプロセスだ。季節や天候によって温度や湿度が変化すると、樽が呼吸をするように、空気や水分が樽の内と外とを出入りする。原酒に樽の成分や酸素が取り込まれることで化学反応が促され、複雑な味わいとなる。一方、熟成に向かない成分を含む液体は蒸散し、まろやかな飲み口になっていく。こうした営みによって、原酒は最初の年で2〜4%、それ以降は毎年1~3%ずつ減る。十分な熟成には避けられない目減りといえ、ウイスキーをおいしくしてくれる天使に差し出すとの考えから、「天使の分け前(エンジェルズ・シェア)」と呼ばれてきた。

40年熟成させたウイスキー。まさに神秘の味わいだった

20年超えて起きる奇跡

 バーで提供される高級なシングルモルトは通常、1杯1000円を下らない。20年を超えて熟成させたものは1杯5000円以上する。モルトに馴染(なじ)みのない人には高く感じられるが、そこに至高の価値を見いだすのが愛好家。鈴木さんによると、20年を超えて寝かせないと出てこない熟成感があるという。
 鈴木さんが1杯8000円で提供するベンローマック蒸留所の40年熟成ものを口に含んでみた。その瞬間、花畑のような濃厚な香りが鼻に抜け、脳天をぐいとつかまれた。モルト初級者の自分にもわかる衝撃の味。鈴木さんは、同じ蒸留所で通常販売する10年熟成ものの約20倍の価格で入手したという。
 「長い時間を経験してきたお酒に敬意を表していると、1年に何回かは自然の神秘、奇跡の味といえるようなボトルに遭遇するんです」
 ただ、年数を経れば必ず良くなるというわけではない。長期間の熟成に耐えうる原酒は限られ、熟成の方法によって味わいも変わる。「たまに『お前、30年間、何をやってきたんだ』と言いたくなるボトルに出会うこともあるが、そのときは運が悪かったと思ってあきらめるしかない」。鈴木さんはそう言うと、苦笑いした。(クロスメディア部 小坂剛

アラン10年

<鈴木徹の家飲み>……まずはクセのないシングルモルトから

 楽しみ方は人それぞれですが、家にまず1本、シングルモルトを置くなら、クセのないものがおすすめ。穏やかでマイルド、ストレートでもロックでもソーダ割りでもいけるのがアランモルト10年。炭酸で割っても味が薄まった感じがしない。何の料理にもよく合うと思いますよ。
 アランは、スコットランドのアラン島で1995年に創業した新しい蒸留所。麦芽を乾燥する際にピートと呼ばれる泥炭を用いて焚(た)くと、スコッチ特有の燻香(くんこう)がつきますが、このウイスキーはピートを使っていないノンピートと呼ばれるタイプです。

※ウイスキーの基礎知識はこちら( https://liqul.com/entry/3306 )(「酒育の会」ウエブサイト内)をご覧ください。

鈴木徹】1963年生まれ。都立工芸高校卒業後、デザイン業界を経て、バー業界に。渋谷や自由が丘のバーで働いた後、2004年から東京・目黒にモルトバー「ザ・マッシュタン トウキョウ(THE MASH TUN TOKYO)」
https://www.facebook.com/THE-MASH-TUN-TOKYO-139687289390243
)を営む。趣味は競馬、好きな言葉は「直線一気」「勝負は4コーナーから」。「偏屈そうに見えるかもしれないが、本当はシャイ」な性格とは本人弁。

筆者紹介
小坂剛(こさか・たけし) 読売新聞クロスメディア部次長。秋田支局、社会部、メディア局などを経て現職。お酒と食べ物に好き嫌いなし。著書に「酒場天国イギリス」「あの人と、『酒都』放浪」(いずれも中央公論新社)。酒文化の紹介がライフワーク。

→「モルトの世界へようこそ〜ウイスキーラバーは猫が好き(下)」
←前編、「「バー界の風雲児~ウイスクテールの挑戦(上)」

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