感染防止策でビニールシートとアクリル板を張り巡らせた店内で

 たとえ外に出られなくても、おいしいお酒を楽しみたい。心と体に染み入る幸福の一杯。お酒を愛する人々の物語をお届けします。

草加で20年目のウイスキーバーと書かれた入り口の看板

あきらめなかった二十歳の自分

 「御覧の通り目立たなく酒が異常に有る事しか取柄のないBar です。ただ、そんな店がこの街にただ一軒あっても良いんじゃないでしょうか」。埼玉県の東武伊勢崎線・草加駅近く、道路脇の看板につづられた言葉。2001年にウイスキー主体のモルトバー「ジョン・オグローツ(John O'Groats)」をオープンさせたオーナーバーテンダーの鈴木勝二さん(51)が、2階にある店を紹介している。

グレートブリテン島を徒歩縦断した二十歳のときロンドンで撮影した写真

 鈴木さんは大学時代、英国・グレートブリテン島を徒歩で縦断した。そのとき二十歳。ゴールとなった同島最北端の村の名が店名の由来となっている。脚力には絶対の自信があった鈴木さんだったが、当時、出発を決意した後も「ばかなことはやめろ」と周囲の反対にあった。同島南部にあるブライトンから出発後には困難に直面した。縦断を幾度も断念しようと思った。それだけに達成感は何物にも代えがたかった。
 配膳会所属のウェーターとして8 年間、計270か所のホテルや高級レストラン、大使館などで料理や飲み物をサービスした後にバーを開いた。「あの時と同じように、何があってもあきらめない」という決意を店名に込めた。
 鈴木さんは、「(スコットランド北部)スぺイサイド地方の蒸留所を車でしらみつぶしに回るバーテンダーはいても、歩いてブリテン島を縦断したバーテンダーは全国で僕一人だと思いますよ」と胸を張る。

バーに求めるものは人それぞれ

 草加は江戸時代、日光街道の宿場町として栄え、戦後になるとベッドタウンとして人口が急増した。鈴木さんは独立を考えていた頃、妻の仕事の都合で東京・三軒茶屋から草加に引っ越してきた。「⾧く店を構えるなら歩いて通える場所がいい」。そう考えて店舗を借りた。
 バーと一口に言っても人によって抱くイメージは違う。当初は店に入ってくるなり、「カラオケはないの?」「(接待してくれる)女性はいないの?」というお客さんが相次いだ。静かな雰囲気で洋酒を楽しむ雰囲気のバーは周辺に見当たらず、できたと思ってもすぐに消えた。鈴木さんは「(本格的なバーである)オーセンティックバーに限って言えば、草加は根付きにくい土地柄と感じました」と振り返る。
 バーのイメージや何を期待するかは人それぞれ。雰囲気が好き、会話を楽しみたい、仲間と盛り上がりたい……。毎晩、飲み歩いていても、お酒に関心が向かない人もいる。純粋にお酒を求めてバーを訪れる人は2割もいないと感じたことすらある。

本当の酒好きとは?

 鈴木さんは、酒好きを「お酒そのものを楽しむために時間とお金を使おうとする人」ととらえている。モルトバーは根付かないのか、とすら思えた草加の地で、鈴木さんが目指したのは、その酒好きが集まる店。そして、鈴木さんが考えるバーとは「営業時間中にお酒のプロがいるお店」。プロとして、お客さんが一過性のブームに終わらず、⾧くお酒を楽しめるように、経験や好みに合わせてお酒を薦め、知識を提供していく必要があると、鈴木さんは考える。
 自分がおいしいと思うボトルから酒をグラスに注ぎ、「これ、うまいっすよ!」と言い、客に差し出す。一口含んだ客が「おいしいね」と笑顔になると、「よかった」と心の中でガッツポーズ。鈴木さんのやりたいことは、これだ。

休みの日、店で一息

きょう泣きたいですか?

 店内での、常連客と鈴木さんとの会話は、例えばこんな感じだ。
 「きょう泣きたいですか」(鈴木さん)
 「平日だからきょうは泣かなくていい、そこそこで。休日前にまた来るから」(常連客)
 <泣きたいか?>とは、泣くほどうまいものを飲んで帰りたいか?という意味。鈴木さんが頑張れるのは、涙がこぼれるほどうまい酒を飲んだ自身の体験があるからだ。
 「出張でしばらく店に来られないから、今日は必殺技を二つ飲んで帰りたい」という常連客もいる。<必殺技>とは、数種類のウイスキーを飲む客が、最後に「とどめの一撃」となる強烈な印象を残す一杯だ。客の望みを確かめると、鈴木さんはカウンターを抜け出し、壁一面に並ぶ1000本以上から、お目当てを探し出して言う。「これうまいっすよ」
 店が20年続いているのは、鈴木さんがおいしいと思う酒を提供し、それに共鳴した客が常連となって通ってきたからだ。地域のウイスキー文化の一端はこうして作られている。
(クロスメディア部 小坂剛)

モルト初級者におすすめのクライヌリッシュ14 年

【鈴木勝二の家飲み】

 「家飲みにお薦めのウイスキーを教えてと聞かれたら、好きなものを飲めばいいんじゃないですか、というのが本音です。何千種類もあるわけですから、知らない酒があって当たり前と、まずは知ってほしい。ただ、これから好みのウイスキーを探していきたいという人に最初の一本として、よく薦めるのはクライヌリッシュ14年。値段もそんなに高くなくてメジャーですし、スムーズだから、家でもダラダラと飲み続けられます」

鈴木勝二(しょうじ)】1969年福島県生まれ。大学時代から飲食店でアルバイトを始め、配膳会所属のウェーターとしてレストランなどでサービス業に従事したのち、2001年に埼玉県草加市にスコッチバー「John O’Groats(ジョン・オグローツ)」を開店、14年にバーテンダーとして初めて愛好家団体・ウイスキー文化研究所の最難関資格マスター・オブ・ウイスキーを取得している。そのとき提出した論文「竹鶴政孝を支えたモチベーションとジャパニーズウイスキーの未来」はこちらから

筆者紹介
小坂剛(こさか・たけし) 読売新聞クロスメディア部次⾧。秋田支局、社会部、メディア局などを経て現職。お酒と食べ物に好き嫌いなし。著書に「酒場天国イギリス」「あの人と、『酒都』放浪」(いずれも中央公論新社)。酒文化の紹介がライフワーク。

→「埼玉・草加でスコッチバーを20年~でも酒を売りたいわけじゃないんです(下)」
←前編「うれしいときも悲しいときも~テキーラの誤解解きたい(上)」

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