たとえ外に出られなくても、おいしいお酒を楽しみたい。心と体に染み入る幸福の一杯。お酒を愛する人々の物語をお届けします。

次世代に何かを残したい

 40歳代後半にもなって、なぜ経験のない酒造りに挑んだのか。滋賀県大津市のナインリーヴズ蒸留所でラムを造る竹内義治さん(55)に尋ねた。竹内さんは「すべて偶然の産物、神様の導きとしか言いようがない。『よしっ』と言って立ち上がるようなイメージではなく、何となくやりたいと思ったら道が開けていた」と答えた。
 実家は自動車部品を製造する企業グループのオーナー家。祖父の代に愛知で材木商から発展し、数百人の従業員を擁する。幼い頃から「お前は家を背負って立つ長男だ」という無言の圧力を感じながら育った。大学を卒業して取引のあった大手自動車メーカーで数年働いた後、父の営む自動車部品会社で専務となったが、意見の違いから父と対立して退社。10年ほど幾つかの会社を渡り歩いた。コンサル会社などを経て、一作業員として知り合いの部品工場で働いていたとき、「次の世代に自分が残せることは何か」と考え始めた。
 部品はあくまで車の一部でしかない。自分のブランドを作り、消費者に完成品として何かを届けられないか――。だが、日進月歩の技術や多額の投資を必要とするものは無理。それなら酒造りの世界はどうだろう、とひらめいた。
 「日本酒やワインといった醸造酒は長年の修業と才能が必要な世界。でも、蒸留酒なら、樹脂製の部品作りから学んだ化学の知識や経験が生かせるはず」。実家の会社に戻り、家業に携わりながら、日本ではあまり盛んでないラム酒に挑戦することを決めた。その頃、経済的に余裕があったことも決断を後押しした。

シリアル番号が手書きされたボトルのラベル

蒸留所名の由来は家紋

 そこからはトントン拍子に進んだ。水源をどこにしようかとインターネットで検索し、偶然、目に留まったのが、現在、蒸留所を構える平津長石鉱山の地下深層水。黒糖もネット検索で見つけた。イチローズモルトで知られるベンチャーウイスキーの創業者、肥土(あくと)伊知郎氏との縁も、知り合いのバー店主がつないでくれた。肥土氏に蒸留器メーカーのフォーサイス社を紹介してもらうなど、技術や設備の面で指導を仰いだ。

再留する蒸留器(右)と蒸留液をより分ける装置(左)

 手作業の工程が多く、ひとりで造るから、年間の生産量は6000リットルほどと酒造免許がおりるぎりぎりの量。そこから生み出される利益は、一人食べていくのがやっと。消費者の手元に届けるボトルには、一本一本手書きでシリアル番号を記し、「ナインリーヴズ」のラベルをはる。名前は竹内家の家紋にあしらわれた九枚笹(ささ)からとった。ラベルにも九枚笹をモダンにアレンジしたロゴマークがあしらわれている。家業のひとつとして竹内さんが後世に残したいと願うブランドだ。

ラムを熟成させる樽

三角貿易にアメリカ独立戦争、ラムは世界史とともに

 大航海時代にカリブ海で生まれたラム酒は、歴史に刻まれる出来事とともに世界に広まった。始まりは砂糖だった。冒険者・コロンブスが大西洋を越えてカリブ海の島にサトウキビの苗を持ち込み、島々に大規模な農園ができる。当時、砂糖は中東や地中海で栽培され、長い距離をかけて運ばれたため、ヨーロッパでは高級品だった。だが、カリブ海でサトウキビが盛んに栽培されると、庶民の食卓に上る日用品となり、「砂糖革命」が起きる。
 やがて砂糖をつくる過程で大量に生み出される糖蜜を有効活用するため、ラム酒が生まれた。当初は劣悪な味で、鉛を使って生産したことから鉛中毒で死ぬ人が続出し、「キル・デビル(悪魔殺し)」とも呼ばれていた。

「キル・デビル」と呼ばれていたことにちなんだ名前のラム(左)(バー・フィンガルで)

 その後、北米大陸のイギリスの植民地へ輸出される。ビールやリンゴ酒を凌駕(りょうが)して飲まれるようになると、ラム酒の蒸留所が多く建設され、質も向上した。サトウキビ農園で働く奴隷をアフリカからカリブ海の島に連れてくるため、北米からラム酒が送られ、カリブ海から北米へは糖蜜が持ち込まれる三角貿易が盛んになる。海賊たちは商船を襲い、積み込まれたラム酒を奪った。北米大陸では先住民のネイティブ・アメリカンとの取引にもラム酒が用いられ、酒を知らなかった先住民がアルコールを手放せなくなる悲劇も招いた。
 イギリスが北米植民地で、フランス領から輸入される糖蜜に高い関税を課したことが、業者や愛酒家の不満をかき立て、アメリカ独立戦争の要因になったともされる。
 壊血病の予防に効くと信じられたことからイギリス海軍では船員に支給された。英海軍のネルソン提督が、フランスとスペインの連合艦隊を打ち破ったトラファルガー海戦で命を落とした後、腐敗させないため、遺体をダークラムの樽に漬けて持ち帰ったとの説もあり、樽で3年以上熟成させたダークラムは「ネルソンズブラッド(ネルソンの血)」と呼ばれる。(参考文献「酒が語るアメリカ裏面史」グレン・サリバン著)

英国、スペイン、フランスなど旧宗主国によって特徴は異なる(ラム酒専門バー・タフィアで)

 多くの造り手と飲み手を巻き込み、世界に広まったラム酒。スコッチやコニャックのように厳格な産地や製法の規定がないことから、各地で様々な造り方をされている。カリブ海から遠く離れた地で、新たなラム酒ブランドを作ろうと奮闘する竹内さんの挑戦も、壮大なラム酒の歴史に連なっている。(クロスメディア部 小坂剛)

竹内義治】1965年6月名古屋生まれ。大学卒業後、大手自動車メーカー勤務の後、父の経営する自動車部品製造会社で専務。その後、同社を退社しコンサルタント会社、自動車部品メーカーを経て、2013年に大津市に竹廣株式会社ナインリーヴズ蒸留所を創業し、蒸留責任者となる。

筆者紹介
小坂剛(こさか・たけし) 読売新聞クロスメディア部次長。秋田支局、社会部、メディア局などを経て現職。お酒と食べ物に好き嫌いなし。著書に「酒場天国イギリス」「あの人と、『酒都』放浪」(いずれも中央公論新社)。酒文化の紹介がライフワーク。

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