柔道五段の堂々たる体格。酒量は多いが「記憶をなくしたことはない」

 たとえ外に出られなくても、おいしいお酒を楽しみたい。心と体に染み入る幸福の一杯。お酒を愛する人々の物語をお届けします。

柔道五段の料理好き、飲み手で造り手

 大柄で人なつっこい笑顔。クラブのディスクジョッキー(DJ)にして柔道五段、毎日家庭で包丁を握る料理好き、豪快に酒を飲み、日本酒の造り手でもある。静岡県沼津市にある高嶋酒造の社長、高嶋一孝さん(42)は幾つもの顔を持ち合わせる。そして、そのすべてが互いに密接に関連している。

酒蔵に近い東海道線・原駅に置かれた「白隠正宗」のショーケース

 高嶋酒造は1804年に創業し、「駿河に過ぎたるもの」として富士山と並んで称された、高名な禅僧・白隠にちなんだ「白隠正宗」の銘柄で知られる。銘柄の命名者は山岡鉄舟と伝わる。蔵元かつ杜氏(とうじ)の高嶋さんのもと、「地の食文化に合ってこその地酒」をモットーに、地下150メートルからくみ上げた富士山の伏流水、静岡県産の米と酵母から地酒を醸している。

酒蔵は東海道五十三次の宿場町「原宿」にある

干物を引き立てる酒

 「甘酸っぱい酒が今の主流ですが、うちは酸も甘さも抑えています」と高嶋さん。酒母を手作業で造る「生酛(きもと)」というタイプの「白隠正宗」を口に含むと、言葉通り、ほどよい辛さと酸味が食欲をかき立て、後味はすっきりしていた。
 高嶋さんは酒造りを食から考える。地酒は地域の食文化によって育まれてきた。沼津は漁業が盛んな街、魚屋の店頭に並ぶ脂っ気のないムロアジなどの干物が引き立つ酒を醸造の基本としつつ、高級料亭の薄味から食卓に上る「お母さんの手作りコロッケ」まで、どんな料理にも合う酒を理想としている。
 「甘酸っぱい酒が増えているのは、甘みや酸味を出そうとすると、バランスを取るため両方を増やさざるをえないから。でも、酒の味だけで考えるのはエゴイスティック」と高嶋さん。目指すのは、地元の材料や風土をストレートに反映した「自我のない酒」だ。

昔ながらの製法で酒母をこしらえる生酛造りの様子

DJも酒造りも自然体で

 高嶋さんは「DJも酒造りも同じ」と話す。DJはみんなが知らない曲を紹介する「選曲師」で、「自分がこれを聴いてほしいから」というより、「みんなはこの曲を聴きたいだろう」と曲を選ぶことを理想に掲げている。酒も「米や水という原材料と飲む人がいて、料理がある。自分はつなぎ役」と考える。DJも酒造りも高嶋さんにとっては自己表現の手段だが、自らを前面に出すことなく、肩の力を抜いて「あるものを生かす」というスタイルを貫く点でも共通している。その実践は頭を空っぽにし、執着を捨てる禅の思想にも通じる。
 高校生の頃、柔道では奇襲戦法を得意としていた。五段を取った20歳代後半には、「一番強いのは自然体」と実感するようになり、相手の動きを見極めるようになった。毎日自宅で出汁(だし)を取るところから料理するのも、「素材の良さを引き出して家族の体に優しいものを食べてほしい」との思いがあるからだ。「料理の肝は塩梅(あんばい)、塩加減」と語る。

「塩梅が肝心」と料理は薄味を心がける

 「酒蔵には哲学が必要」と考える高嶋さんは、銘醸の地「灘」で500年を超す歴史を有する蔵元「剣菱」の家訓である「止まった時計であれ」に共感する。流行に惑わされず、理想の酒造りを続ければ、やがて時代が追いついてくる。「Passion is not fashion」(情熱は流行でない)。時代に流されず、奇をてらわず、粛々と自らの信じる酒造りを続けたい。

最強のコミュニケーションツール

 高嶋さんは「最強のコミュニケーションツール」としての酒も目指している。飲んで会話が弾む酒、すいすい飲めて気分良く酔える酒だ。
 高嶋さん自身、造り手である前に愛飲家、飲み始めると長い。新型コロナウイルスの感染拡大前には、一晩に外で1升飲むことも珍しくなかった。そんなあるとき、シンプルな原料の酒ほど体に優しいと感じた。
 長時間、心地よく飲めて、悪酔いしにくいのは、ビールであれば麦芽とホップだけを使ったタイプ、日本酒なら醸造アルコールを添加していない純米酒。高嶋酒造では、2012年から純米酒だけの生産に切り替え、二日酔いの原因ともなるアセトアルデヒドが出にくい製造法を心掛ける。「日本酒が苦手な方は、うちの酒を試してほしい。そのときは何も感じなくても翌朝、『昨日の酒良かった』と思ってもらえればうれしい」
 静かだが、力強く、酒造りにかける思いを口にする高嶋さん。しかし、大学卒業後、実家の蔵に入ってからの10年は苦難の連続だった。(クロスメディア部 小坂剛)

【高嶋一孝】1978年、静岡県生まれ。東海大第一高時代は柔道に没頭する一方、クラブ遊びを覚えて音楽好きになった。東京農大農学部醸造学科に進学するとDJも始めた。大学を卒業して沼津に戻り、実家の高嶋酒造に入社。2003年に社長に就任し、08年からは杜氏も兼ねる。12年から醸造アルコールの添加をやめ、米と米麹(こうじ)、水だけでつくる純米酒のみを造るようになった。現在もDJとして現役で活躍し、ラジオに出演することもある。好きなDJはニューヨークのダンスミュージックの先駆者とされるデイビッド・マンキューソという。
<筆者紹介>
小坂剛(こさか・たけし) 読売新聞クロスメディア部次長。秋田支局、社会部、メディア局などを経て現職。お酒と食べ物に好き嫌いなし。著書に「酒場天国イギリス」「あの人と、『酒都』放浪」(いずれも中央公論新社)。酒文化の紹介がライフワーク。

【シードル醸造所支援のクラウドファンディング】  「一杯の幸福」でも紹介した東京・神田でシードルとウイスキーの店「Eclipse first」を営む藤井達郎さんが、古里・群馬でシードル醸造所を始めることになり、支援を募っています。返礼品は、できたてシードルとオリジナルエコバッグ、世界のシードル5種類飲み比べセット、醸造所見学&試飲付きお座敷セミナーなど。詳しくは、こちらから。

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