たとえ外に出られなくても、おいしいお酒を楽しみたい。心と体に染み入る幸福の一杯。お酒を愛する人々の物語をお届けします。

薄味で鍛えられた舌

 静岡県沼津市にある高嶋酒造に生まれた高嶋一孝さん(42)。創業から200年を超える老舗の長男だったが、高校時代は柔道に打ち込み、けがをしてからはクラブに通い始めて音楽の世界に没頭し、家を継ぐことは意識しなかったという。酒蔵の子弟が多く通う東京農大の醸造学科に進んだが、それは「家業を継ごうと意を決したからでなく、東京に出たいという理由からだった」と、当時を振り返る。
 大学3年生のとき、味噌(みそ)や醤油(しょうゆ)を研究する舘博(たち・ひろし)先生のもとで、発酵調味料を学んだことが、それまでの人生を転換するきっかけとなった。舘さんから「一生舌を使う仕事につくんだから、食べることから考えなきゃだめだ」と教わり、煮魚や煮物をメインメニューに据えていた料亭が運営する学食で、食事を取るように指示された。最初は薄味で物足りなかったが、朝昼と食べ続けるうち舌が鍛えられたのか、おいしく感じるようになる。
 この頃、そば屋で日本酒を飲むことを覚え、焼き海苔(のり)に最高に合う「菊正宗」に感動した。逆に、当時はやっていた甘い香りの吟醸酒は海苔の風味を消しているように感じ、「食べ物を引き立てる酒こそ理想」と考えた。

見た目に頓着しない。結婚するまで丸刈りだった

酒造りで自分をアウトプットする

 大学3年生の冬、高嶋さんは「開運」の銘柄で知られる静岡県掛川市の土井酒造場で2週間研修した。業界でもトップクラスと評価の高かった酒蔵で、経営者の蔵元と造り手の杜氏(とうじ)の息の合った仕事ぶり、酒造りの奥深さに刺激を受けた。日本酒離れが進み、造り酒屋は減り続けていたが、最後に蔵元は「酒造りはだれもができる仕事じゃないんだから、楽しんでやったほうがいい」と言って送り出してくれた。
 帰り際、同じ静岡にある実家の酒蔵に寄って、その落差にショックを受けた。「雰囲気も悪いし、酒もむちゃくちゃまずかった。このままじゃ潰れる、と不安になったんです」。それまでDJや音楽雑誌の執筆などをしようとも考えたが、「音楽も酒造りも、自分をアウトプットする手段。逆に酒蔵なんてだれもがやれる仕事でないから、そっちの方が面白い」と家業を継ぐ腹を決めた。

作業にあたる蔵人

酒屋に助けられた

 大学を卒業して実家に戻ると、「覚悟はしていましたが、想像以上でした」。旅館に酒を卸していたが、安く買いたたかれた上、代金の支払いは半年先。バブル期に抱えた多額の借金があり、資金繰りに困って、金策で親戚を回ったこともあった。意見が合わない従業員にはやめてもらい、酒の造り方から商品構成、取引先も変えた。岩手から来ていた杜氏が体を壊してからは、高嶋さんが蔵元兼杜氏となる。
 日本酒のサンプルを持って酒屋を巡り、「地の食文化に合ってこその地酒」という自分の信念を店主に説いていたときのこと。全国の地酒や焼酎を扱う地元・静岡の久保山酒店で「よし、わかった。明日、100本持ってきな。友達の酒屋にも電話しておく。地酒に特化している酒屋さんに行かないとダメだよ」と言ってもらった。

酒蔵の心臓部とされる麹室(こうじむろ)

酒は情報、咀嚼する人が必要

 地酒を扱う全国の有名酒店が高嶋酒造の白隠正宗を置くようになると、毎年「日本酒特集」を発行しているグルメ雑誌「dancyu」(プレジデント社)の常連となり、酒店を情報源とする多くの雑誌や書籍でも取り上げられるようになった。知名度がアップし、「白隠正宗」の注文が増えると、こちらの言い値で取引できるように変わった。
 高嶋酒造は現在、白隠正宗を原則として、特約店経由のみで販売している。「じり貧だった自分が何とか食えるようになったのは、酒を置いてくれた店のお陰。一蓮托生(いちれんたくしょう)の気持ちでいたい」との思いからだ。昨年来の新型コロナウイルスの影響で、会社の売り上げは落ち込んでいるが、取引先である酒屋の売り上げが落ちている間は、販路を拡大するつもりはない。
 酒屋さんとタッグを組むには、もう一つ理由がある。「酒って情報じゃないですか。咀嚼(そしゃく)してくれる人がいないと伝わらない」。酒屋がどんなお酒かを理解し、お客さんに薦めてくれるから、酒が売れる。「情報は川のように流れる。発信力のある上流にいる人たちに伝えてもらわないと、下流に流しても理解されないまま消えてしまうことに気付いたんです」。日本酒業界の「川上」にいる発信力のある編集者たちと知り合いになったことも、こうした思いを強めるきっかけとなった。

酒造りには地下からくみ上げる富士山の伏流水を用いる

極めれば燗

 「極めれば燗(かん)ですよ」。高嶋さんは口癖のように言いながら、京都の老舗居酒屋で体験した面白いエピソードを披露してくれた。燗酒を頼むと、新酒に特有な香りと古酒にしかない熟成香が共存していた。帰り際に店員に尋ねると、「灘の5種類の酒をブレンドしています」と返ってきた。
 燗酒が大量に出る名古屋市内の老舗居酒屋は、注文すると、少なめに張ったぬるい湯につけてあるお銚子(ちょうし)を即座に運んでくる。これが飲みやすい。熱伝導の悪い状態で燗をつける方が味に変化が少ないと気付いた高嶋さんが、いろいろ試し、たどり着いたのが「蒸し燗」という手法。お銚子をセイロに入れて蒸すと燗にありがちな独特の味が出ない。「燗が苦手な人には試してほしい。常温や冷酒はつぐだけだから、アルバイトでもできる。でも、燗は技量や経験が出る。バーテンダーの領域に近い世界です」
 高嶋さんは、ビジネスの世界に身を置き、酒造りで利益を上げなければならないが、お酒を楽しむ文化を創る担い手でもある。「卵料理にワインは合わないと言われているけれど、日本酒とは相性が良い。魚卵にはシャンパンがいいとされるが、日本酒の方が合うと思う」。ワインで補えない味を日本酒で支える。例えば、そんな食と酒との関わりを伝えていきたい。食から酒を考え続けてきた高嶋さんの話を聞いていると、日本酒の新たな可能性に気付かされる。(クロスメディア部 小坂剛)

【高嶋一孝】1978年、静岡県生まれ。東海大第一高時代は柔道に没頭する一方、クラブ遊びを覚えて音楽好きになった。東京農大農学部醸造学科に進学するとDJも始めた。大学を卒業して沼津に戻り、実家の高嶋酒造に入社。2003年に社長に就任し、08年からは杜氏も兼ねる。12年から醸造アルコールの添加をやめ、米と米麹(こうじ)、水だけでつくる純米酒のみを造るようになった。現在もDJとして現役で活躍し、ラジオに出演することもある。好きなDJはニューヨークのダンスミュージックの先駆者とされるデイビッド・マンキューソという。
<筆者紹介>
小坂剛(こさか・たけし) 読売新聞クロスメディア部次長。秋田支局、社会部、メディア局などを経て現職。お酒と食べ物に好き嫌いなし。著書に「酒場天国イギリス」「あの人と、『酒都』放浪」(いずれも中央公論新社)。酒文化の紹介がライフワーク。

【シードル醸造所支援のクラウドファンディング】  「一杯の幸福」でも紹介した東京・神田でシードルとウイスキーの店「Eclipse first」を営む藤井達郎さんが、古里・群馬でシードル醸造所を始めることになり、支援を募っています。返礼品は、できたてシードルとオリジナルエコバッグ、世界のシードル5種類飲み比べセット、醸造所見学&試飲付きお座敷セミナーなど。詳しくは、こちらから。

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