たとえ外に出られなくても、おいしいお酒を楽しみたい。心と体に染み入る幸福の一杯。お酒を愛する人々の物語をお届けします。

ゴーギャンの絵が飾られた店内でカクテルを注ぐ南雲さん

タガメってどんな味?

 虎ノ門ヒルズのバー「メメント・モリ」のメニューには、水生昆虫のタガメを使ったウォッカのソーダ割りがある。最近、考案したという。早速、注文した。グラスの中でタガメが泳いでいる様子を想像してみたが、差し出されたのは透明な液体。グラスの中にタガメの痕跡はない。一口飲むと青リンゴというか、洋梨のような香りがした。「タガメの味です」。南雲主于三(しゅうぞう)さん(40)は、そう言って微笑(ほほえ)んだ。
 南雲さんは銀座や虎ノ門、赤坂など都心の一等地でバー4店を経営する。新鮮なフルーツや野菜、スパイスなどを使って、自由な発想で新たな味を表現する「ミクソロジーカクテル」の第一人者としても知られる。コチュジャンにフォアグラ、トムヤムクン、アスパラガス、トリュフ……。「えっ?」と驚くような素材を用いて、遠心分離器などの器具も駆使して、常識を覆すカクテルを誕生させてきた。
 「どうしてタガメなんですか」と尋ねてみた。「地球環境問題への意識が高まり、環境負荷の少ないたんぱく源として注目されるようになった昆虫食に、バーテンダーとして向き合いたかったのです」との答えが返ってきた。昆虫食専門レストランに通い、一番カクテルに適していると感じたのが、東南アジアで食材として用いられるタガメだったという。
 「色々食べてみたところ、香りが素晴らしかった」。タガメソーダの製法は「企業秘密」というが、素材本来の香りをなくさないように、減圧して沸点を下げた状態で蒸留する減圧蒸留器によって、タイ産タガメの香りを抽出、ウォッカに移している。
 「クリスタルキャビアマティーニ」「ブルーチーズと日本酒のチョコレートマティーニ」「春の蕗(ふき)の薹(とう)のネグローニ」「ベーコンとシャルトリューズのカクテル」。店のメニューには国内外の植物や高級食材を使ったカクテルやカカオ豆を使ったカクテルなども並び、チョコレートとお酒のマリアージュが楽しめる。

減圧蒸留器

ないものを創り出すのがミクソロジー

 南雲さんは28歳でミクソロジストとして独立し、東京・八重洲にバー「コードネームミクソロジー」を開いた(現在は地区の再開発で閉店)。ミクソロジーは自由な発想で既成概念を飛び越えて創造するカクテルの総称で、作り手をミクソロジストという。常に斬新さを追求するミクソロジーは、マティーニやギムレットといった伝統のレシピを守るスタンダード(クラシック)カクテルの対極にある。
 南雲さんがミクソロジーを実践する「武器」が、10年前から導入してきた減圧蒸留器や遠心分離器、真空包装機、食品乾燥機、液体窒素だ。液体の香り付けやエキスの抽出、果物を乾燥チップにしたり、液体窒素で冷やして固めたりといった作業を、短時間でできる。例えばトマトを、味を凝縮した透明な液体と果肉とに分けるのには手作業では一晩かかるが、遠心分離器を使えばわずか15分で済む。扱いにくかったワサビやチーズ、フォアグラ、キュウリといった材料を使えるようになり、新しいカクテルの世界が開けた。

カカオの産地をピンで示した地球儀と南雲さんの著書「ザ・ミクソロジー」

知識と技術は広く共有すべき

 南雲さんは、多くの著名なバーテンダーのようにコンテストで優勝したわけでもなく、有名店で本格的に修業したわけでもない。大学時代から独学で書物を読みあさり、研究を重ねて今に至っている。
 父親は精神科の医師。大学では文系の学部に通ったが、検証好き。カクテルを学ぶ上でも、おいしく感じるのは、どんな条件がそろったときなのか、液体の温度や量といった数字に徹底してこだわった。「神業や奇跡は信じない。おいしいカクテルには必ず理由があるし、その製法を再現し、人に伝えられなければ意味がない」と考えている。
 業界で知られるようになったのも、「知識と技術は共有すべき」と考える南雲さんが、新しい器具の使い方やお酒を紹介する同業者向けセミナーを繰り返し開いたことが大きな要因だった。2019年に出版された300ページ近い著書「ザ・ミクソロジー カクテル創作のメソッドとテクニック」(柴田書店)には、南雲さんが、おいしさを求めて検証を重ねた軌跡、どのようにオリジナルカクテルを発想するかや、器具の使い方、考案したミクソロジーカクテルの材料やレシピが詳細なデータとともに記録されている。

店名の「メメント・モリ」はラテン語で「死を忘れるな」

「すべての液体をカクテルに」

 南雲さん率いるミクソロジーグループには、「どのような液体をもカクテルにする」という目標がある。銀座の「ミクソロジー・サロン」はお茶とカクテルをテーマに掲げ、焼酎を使ったカクテル中心の店も運営していた。お茶や焼酎の生産者とも交流を深め、一杯のカクテルで文化と文化を融合させる。
 「メメント・モリ」のテーマはカカオという。現代人はチョコレートをまず連想するが、約170年前にチョコレートが誕生するまで、カカオは飲み物で味わうだけだった。中南米では滋養強壮のため、樹液やスパイスを入れ、ヨーロッパの貴族はバラを浮かべて優雅に飲んだ。
 熱帯雨林を思わせる装飾と、フランスの著名な画家・ゴーギャンの絵が飾られた店内には、コロンビア、ペルー、マダガスカル、インドネシア、ベトナムといった産地の異なる品種の豆を漬け込んだウォッカが並び、カカオトニックやハイボールで飲み比べることができる。
 「カカオ豆のドリンクが当たり前になり、コーヒー豆のように語られる日が来てほしい」と南雲さん。店名の「メメント・モリ」はラテン語で「死を忘れるな」の意味で、自然から摘み取った素材を無駄にせずに使い切り、「命をいかす」という思いを店名に込めた。カカオの生命で丁寧につくられたカクテルを飲むと、生きていることのありがたさが感じられる。(クロスメディア部 小坂剛)

【南雲主于三の家飲み】……自宅用カクテルはまとめてつくって冷凍庫に
 オススメは、山椒(さんしょう)の実を漬け込んだジン。冷凍庫に1週間入れておけば、山椒の香りがつきます。炭酸やトニックウォーターで割れば、食中酒として楽しめます。
 自宅用カクテルのコツはまとめて作ることです。例えば、世界中で人気のあるカクテル「ネグローニ」も、ジンとカンパリ、ベルモットを200mlずつ混ぜてボトルに入れて冷凍庫で冷やしておけば、いつでも楽しめます。アルコール度数の高い飲み物は家庭の冷凍庫に入れても凍らないので便利です。

【南雲主于三(なぐも・しゅうぞう)】1980年、岡山県生まれ。大学時代にアルバイトでバーテンダーの世界に入る。大学卒業後に不動産会社で1年働いたあと、ロンドンに渡り、有名レストラン「Nobu London」で働きながらヨーロッパ各地を旅する。2007年に帰国し、09年にスピリッツ&シェアリング株式会社を設立し、ミクソロジーカクテルを提供するバーを都心に相次いで開き、現在は4店舗を経営。経営者でありミクソロジスト。

<筆者紹介>
小坂剛(こさか・たけし) 読売新聞クロスメディア部次長。秋田支局、社会部、メディア局などを経て現職。お酒と食べ物に好き嫌いなし。著書に「酒場天国イギリス」「あの人と、『酒都』放浪」(いずれも中央公論新社)。酒文化の紹介がライフワーク。

【シードル醸造所支援のクラウドファンディング】  「一杯の幸福」でも紹介した東京・神田でシードルとウイスキーの店「Eclipse first」を営む藤井達郎さんが、古里・群馬でシードル醸造所を始めることになり、支援を募っています。返礼品は、できたてシードルとオリジナルエコバッグ、世界のシードル5種類飲み比べセット、醸造所見学&試飲付きお座敷セミナーなど。詳しくは、こちらから。

→「タガメもキャビアもカクテルに~ミクソロジーとテクノロジーで変わるバー(下)」
前編「DJも日本酒造りも同じ~酒蔵の哲学『食に地酒あり』(上)」

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