たとえ外に出られなくても、おいしいお酒を楽しみたい。心と体に染み入る幸福の一杯。お酒を愛する人々の物語をお届けします。

四者で手を携え

 「冩樂(しゃらく)」や「會津宮泉」の銘柄で知られる福島県会津若松市の宮泉銘醸はこの20年で売り上げを10倍以上に伸ばした。「何が成功した要因だったんでしょうか」と社長の宮森義弘さん(44)に尋ねた。宮森さんはしばらく考え込んだ後、「成功したとは思ってないが、今の状態に来られたのは、僕ら造り手と売り手、飲食店、そして伝え手の四者が手をつないでやってきたから」と答えた。
 取材を終えて、宮森さんに連れて行ってもらったのは「盃爛処(はいらんしょ)」という、会津の地酒を豊富に扱う会津若松市内の店。店主の松田和博さん(50)がお笑い芸人のような軽妙トークを交え、珍しい酒米を使ったタイプなど様々な「冩樂」や「會津宮泉」を注いでくれた。
 店で宮森さんに紹介されたのは、同市の酒販店「會津酒楽館」代表の渡辺宗太郎さん(45)。宮森さんは会津若松に戻って間もない頃、自分の酒を置いてほしいと渡辺さんに頼んだが、最初は断られた。「ディスカウントストアやコンビニが酒を置くようになり、小さな酒屋が生き残るのは大変な時代。どこにでも置いていない珍しい地酒に特化したいから、安易に妥協はできなかった」。渡辺さんはそう振り返った。ただ、すぐに宮森さんの酒造りの姿勢に共感し、冩樂が有名になる前から店で扱うようになった。

「會津宮泉」銘柄のカラフルなラベルや文字

造りすぎないことも肝心

 「自分たちで『おいしい』と思うことも大事だが、僕らのお酒を取り扱ってもらっている酒販店や飲食店に僕らの思いを伝えて売ってもらうことが肝心」と、専務で弟の宮森大和さん(41)は語った。飲食店や酒販店で人気が出ると、雑誌や書籍の編集者、ライターといった「伝え手」が冩樂の魅力を広めた結果、売り上げは順調に伸びていった。冩樂のブランドを復活させ、宮森さん自身が全国に酒の売り込みに歩いた時期もあったが、今は営業部隊もなければ、広告や宣伝に費用もかけていない。
 数年前から、もっと生産量を増やしてはどうかと金融機関や酒販店から勧められているが、宮森さんは「今の量を超えて造ると、パートナーの顔が見えなくなってしまう」と慎重だ。製造から流通、小売りまでを大企業が支配する大量生産の製品とは異なり、酒という伝統文化を小さな酒販店や飲食店と手を携えて担っていきたいと考えている。

瓶詰めした後に、すぐに冷蔵設備で保管する

酒を造れることに感謝

 「だれにも負けない日本酒を造る」と、がむしゃらに進んできた宮森さんだったが、2011年の東日本大震災が転機となった。ちょうど酒蔵の見学で宮城県石巻市にいて惨状を目の当たりにした。高台のホテルで地鳴りのような音を聞き、ホテルの電球がパンパンパンと端から割れた。外に出ると、人々が雪崩のように高台へと駆け上がり、押し寄せる水流が見えるものすべてを流していた。「何もかも終わった。もう酒造りもできないな」と、そのとき思ったという。しばらくして会津若松に戻り、壊れた蔵を修理し、生産を再開したときから、「酒を造れる環境に感謝し、よい酒を造ることで世の中に恩返ししよう」と心に期すようになった。

会津若松市が策定した「あいづっこ宣言」(左)と白虎隊士の像(JR会津若松駅前)。

 数々の逆境に直面してきた歴史が福島県にはある。明治新政府に戊辰(ぼしん)戦争で「賊軍」の汚名を着せられ、白虎隊をはじめ多くの人命が失われた。戦後の高度成長期、首都圏に電力を供給するために建設された福島第一原子力発電所は、東日本大震災で未曽有の事故を起こし、住民は古里を奪われた。

「酒は困難を乗り越える力水」と語る宮森さん

 困難に直面しながらも、粘り強く生きてきたのが会津人。「なにくそ、頑張るぞ」と思ったとき、酒が勇気を与えてくれた。宮森さんは「酒は困難を乗り越える力水」と考えている。会津の人は飲みに出るのが好きで、街の規模に比べて会津若松は飲食店が多いともいわれる。酒蔵はお酒とともに生きてきた会津の顔にほかならない。「会津にはおいしい酒がある。日本中の人にそう思ってもらえるように、これまで以上によい酒を造っていきたい」。宮森さんはそう言いながら、表情を引き締めた。(クロスメディア部 小坂剛)

【宮森義弘】1976年9月、福島県生まれ。県立会津高校、成蹊大学工学部を卒業後、東京でシステムエンジニアとして4年間働き、高速道路の渋滞情報表示システムの開発などに携わる。2002年に古里の会津若松市に戻り、宮泉銘醸に入社し取締役。福島県清酒アカデミーで学び、10年から同社社長を務める。宮泉家は400年近く酒造りを続けてきた家系で、1964年に分家して創業した宮泉銘醸は長く「會津宮泉」の銘柄で日本酒を醸してきた。宮森さんは、廃業した本家筋の銘柄「冩樂」を2007年に復活させ、全国的なブランドに育て上げる。

<筆者紹介>
小坂剛(こさか・たけし) 読売新聞クロスメディア部次長。秋田支局、社会部、メディア局などを経て現職。お酒と食べ物に好き嫌いなし。著書に「酒場天国イギリス」「あの人と、『酒都』放浪」(いずれも中央公論新社)。酒文化の紹介がライフワーク。

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