たとえ外に出られなくても、おいしいお酒を楽しみたい。心と体に染み入る幸福の一杯。お酒を愛する人々の物語をお届けします。

坂口謹一郎氏の写真と勇人さん

防腐剤を使わない自然の酒を

 千葉・房総半島の太平洋側、いすみ市大原にある木戸泉(きどいずみ)酒造は、半世紀前から古酒を造り続けていることで知られる。1~20年ものを5本セットにした「古酒五曲」を注文した。20年寝かせた古酒は薄口醤油(しょうゆ)やウイスキーのような琥珀(こはく)色。口に含むと、辛口のシェリー酒のようなうま味と渋みが広がった。熟成するとこんなにも味が変わるものなのか――。
 一般的ではなかった古酒造りに、木戸泉酒造で最初に情熱を注いだのは、3代目の蔵元・荘司勇さん(1984年に72歳で死去)。現在の5代目・勇人(はやと)さん(45)の祖父に当たる。「より自然な製法で劣化しない酒を造れないか」と考えたことが、古酒造りを始めたきっかけだった。
 当時、日本酒を造る際には、「火落ち菌」と呼ばれる特殊な乳酸菌が繁殖して品質が劣化するのを防ぐため、防腐剤であるサリチル酸を添加することが一般的だった。だが、勇さんには、「人の心を和ませてくれるお酒には防腐剤を使わず、自然に近い形で造るべきだ」との信念があった。専門家に信念の実現に向けた方策を相談した末、56年に「高温山廃酛(こうおんやまはいもと)」という独自の製法で日
本酒を醸し始めた。

税制で途絶えた古酒

 蒸した米と麹(こうじ)、水からお酒のもととなる酒母をつくるときは、通常であれば8度前後の低温で仕込む。一方、「高温山廃酛」では、55度という高温で仕込むことによって一種の無菌状態にし、長持ちするコシのある酒を造り出す。酒造りといえば雑菌が繁殖しにくい低温での作業が基本とされており、逆転の発想から編み出され製法だった。勇さんは、「劣化しにくい酒であれば熟成させた古酒を造れるのではないか」との仮説を立て、さらに工夫を重ねた。
 室町時代の日記には「古酒」という言葉が登場し、江戸時代にも3年や9年寝かせた酒が高値で取引されたとの記録が残っている。日本には古くから古酒をたしなむ文化があった。しかし、近代に入って廃れていった。酒税がその背景として指摘されている。明治から大正時代にかけ、日露戦争などで膨張した国家財政を支えるため、酒蔵に課せられる税は繰り返し引き上げられた。酒税は製造時点で課税される造石(ぞうこく)税だったため、酒蔵は税金を捻出するために、造った酒をすぐに出荷するしかなくなる。その後、造石税は廃止され、出荷時に課税する「蔵出し税」に一本化されるが、その時点で既に古酒を造る酒蔵はほとんどなくなっていた。

坂口氏が勇さんに送った短歌

「酒の生き神さま」と古酒の復活

 そうした状況を嘆いたのが発酵学の世界的権威で、日本の酒造りに大きな影響を与え、「酒の生き神さま」とも評された坂口謹一郎氏(1897~1994)だった。坂口氏は著書「日本の酒」で、「酒の育ちの上で一番大切なのは、何といっても熟成味」としながら、「(熟成は)現代の日本酒では、(ウイスキーやブランデーなどの)外国の酒などに比べると甚だしく軽く見られている」と記している。
 勇さんは65年頃、熟成させた古酒を都内のデパートで売り出し、売れ行きがよかったことから、結果を報告しようと坂口氏を訪れた。坂口氏はこう言ったという。「おやめなさい。売り尽くしてしまったら、あなたはただの酒屋になってしまいますよ」
 坂口氏の言葉を参考にして、勇さんは一定量を取り置き、計画的に生産することとした。古酒「オールド木戸泉」は71年、発売された。
 歌人でもある坂口氏が勇さんに送った短歌がある。
 「いにしえの なだのうまさけ きみにより 太平洋に うつりしきはや」
 江戸時代に盛んになった日本酒造り。その中心として君臨していたのが兵庫の灘だった。坂口氏は、その灘から遠く離れた太平洋沿いの千葉・外房の地で戦後、古酒造りに挑戦する勇さんの活躍ぶりを歌に表現したのだった。

酒を貯蔵する琺瑯(ほうろう)製のタンク

古酒の市場

 日本酒は二つに大別される。一つは、造ってすぐに飲む酒。フレッシュな状態で飲まれるため、できるだけ低温で造ったほうが良いとされ、米を削った雑味のないクリアな味わいが好まれる。もう一つは、時間を置いて飲む酒。複雑な味わいが時間を重ねて、一つの奥行きある味にまとまっていく。熟成すると雑味はうま味に変わるため、木戸泉では米をあまり削らず、60%以下まで精米する吟醸酒は生産したことがない。
 オールド木戸泉を愛飲していた昭和天皇の元侍従長・入江相政(すけまさ)氏が、76年に「古今(こきん)」と命名するなど、熱心なファンは獲得できた。ただ、販売量は期待していたほどには伸びなかった。また、木戸泉の生産量で多くを占めていた純米酒や普通酒も、世間で流行した「端麗辛口」や「フルーティーな酒」とは一線を画していたため、酒蔵全体の生産量も伸び悩んでいた。そうした中、2010年代に入ってウイスキーブームが到来したことを機に、熟成酒にスポットライトが当たるようになった。古酒が受け入れられる土壌が整いつつある。

熟成酒を保管している木戸泉酒造のギャラリーにて

1本110万円の古酒も

 昨年発足した「刻(とき)SAKE協会」もそうした動きのひとつ。木戸泉のほか、「月の桂」(京都)、「黒龍」(福井)、「出羽桜」(山形)、「東力士」(栃木)、「南部美人」(岩手)、「水芭蕉」(群馬)といった銘柄の蔵元がメンバーに名を連ね、世界に通用する熟成酒の基準作りに取り組んでいるのだ。
 七つの蔵元の秘蔵古酒に、ソムリエの田崎真也さんがそれらをブレンドしたものを加えた同協会発足記念「刻の調べ」熟成酒8本セット(限定20セット、202万円)は完売。金沢市に酒蔵を構える福光屋は今年4月、1970年に仕込んだ酒齢50年の純米酒を限定100本、110万円で販売するなど、「プレミアム古酒」も登場している。ようやく勇さんが情熱を注いだ古酒に光が当たりつつある。そして、勇さんが半世紀前、「将来へ」と託して残したものが、もう一つあった。(クロスメディア部 小坂剛)

 【荘司勇人(しょうじ・はやと)】1975年、千葉県いすみ市生まれ。東京農大農学部醸造学科卒業後、酒販店勤務などを経て、2001年に父の経営する木戸泉酒造に入社。生まれつき酒に弱い体質だが、大学在学中に実家のつくる酒を飲み、「これは自分の舌に合う、自分が造るべき」と直感した。12年に製造責任者となり、16年から社長。中学、高校、大学と野球に打ち込んだ。趣味はゴルフ。

<筆者紹介>
小坂剛(こさか・たけし) 読売新聞クロスメディア部次長。秋田支局、社会部、メディア局などを経て現職。お酒と食べ物に好き嫌いなし。著書に「酒場天国イギリス」「あの人と、『酒都』放浪」(いずれも中央公論新社)。酒文化の紹介がライフワーク。

→「早すぎた祖父の夢~琥珀色の日本酒とワインに負けない酸の酒(下)」
←前編「20年で売り上げ10倍超~会津の日本酒蔵が「冩樂」で急成長した理由(上)」

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