たとえ外に出られなくても、おいしいお酒を楽しみたい。心と体に染み入る幸福の一杯。お酒を愛する人々の物語をお届けします。

酒母をつくる部屋にて

酒造りは神ごと

 千葉の外房、いすみ市大原の木戸泉(きどいずみ)酒造の5代目蔵元・荘司勇人(はやと)さん(45)は、昨秋からの酒造りで初めて、酵母と乳酸菌を添加しない酒母造りに挑んだ。日本酒のもととなる酒母造りで、蒸した米と麹(こうじ)、水を混ぜてタンクに入れたあと、酵母や乳酸菌を加えず、蔵に住む酵母や乳酸菌が舞い降りるのをじっと待つという、昔ながらの製法だ。
 「目に見えない酵母や菌がとりつき、働いてくれるのかどうか心配でなかったですか」と質問してみた。勇人さんは「不安がなかったといえばウソになる」と言いながら、「大昔から、酒はそうやって造っていました。菌や酵母の存在を信じる。神ごとです」と笑顔で続けた。
 蔵人の仕事は、酒造りに必要な微生物が活動しやすい環境を整えるに過ぎない。肝は、自然の恵みと、微生物の働きだ。勇人さんが無添加に挑んだのも、「できる限りを自然に委ねたい」との強い思いが考えのベースにあったからだ。

日本酒の枠を超えた「アフス」

酸のある食中酒

 酒母はタンクに移し、米、麹、水を3回に分けて加える三段仕込みでもろみをつくり、これをしぼって清酒にする。その一方で、酒母をそのまましぼって、商品にするものがある。祖父・勇さんの時代に開発された「アフス(afs)」だ。
 アフスを飲んだとき、ラベルに印刷された「日本酒」の品名が信じられなかった。白ワインのような口当たり、爽やかな酸味と甘み。生産開始は1971年だが、アルファベットを使ったネーミングといい、味わいといい、日本酒の枠を突き抜けた斬新さがある。
 「afs」は、高温山廃酛(こうおんやまはいもと)の考案者で新潟県住乃井酒造の当時の社長・安達源右衛門氏、千葉県醸造試験場の初代所長で木戸泉の技術顧問だった古川董氏、そして荘司勇さんと、開発に携わった3人のローマ字名の頭文字から成る。「日本は島国なので、海外の文化が入ってくれば食生活も必ず多様化する。ワインのように酸があって、食事中に楽しめる日本酒があってもいい。祖父はそう考えたようです」と、勇人さんは解説する。

祖父・勇さんに抱かれた勇人さん(勇人さん提供)

 だが、アフスは古酒と同じく、期待したほどには売れなかった。77年から2000年までは生産されず、それまで造ったアフスを熟成させながら、販売していた。「(祖父は)うちの思いのあるものだけを造っていこうと割り切った考えで、商人(あきんど)というより技術者でした。時代が早過ぎました」。01年に生産を再開したアフスは徐々に販売量が伸びていき、今では海外にも輸出されている。

酒蔵で古くから使われてきた酒米を蒸す器具

満天の星空とサーフィンの街

 勇人さんは、子供の頃から酒蔵を継いでほしいと言われたことはなく、「後継者枠」を利用して東京農大の醸造学科に進学したのも、受験勉強せずに大学に行けると考えたからだった。だが、大学で接した様々な酒の中で、実家で造ってきた酒は体になじみ、相性がよかった。「これを自分で造りたい」と思い、自らの意思で実家の酒蔵に蔵人として入る。
 きれいな星空、サーフィンの名所として知られ、伊勢エビをはじめとする新鮮な魚介類に恵まれた、いすみ市は、都会からの移住者も多い。勇人さん自身、大学時代、実家に戻ったとき、満天の星空の美しさに心を打たれた。幼い頃から、添加物を使わない自然食品を食べて育ったことに、感謝の気持ちが生まれてきた。
 荘司家は、アワビを中心とした漁業やムシロなどの包装資材の販売、醤油(しょうゆ)造りなどとともに酒造りを手がけていたが、終戦後、祖父の勇さんの代に漁業権を地元の漁業協同組合に譲渡した。「街全体が潤わないといけない」との考えからだった。酒造業に専念したのを機に、祖父は時代に先駆けて、自然農法で栽培した酒米を使った自然酒造りを始め、古酒や酸味のあるアフスの開発にも取り組んだ。
 「酒蔵は、地域に根付いた商売、地元に貢献しなければいけない」と勇人さんは強調する。木戸泉酒造では、13年から蔵開きというイベントを毎年開き、酒蔵を開放している。関係機関と協力し、3セク鉄道「いすみ鉄道」の始発駅でもある大原駅から酒蔵へ続く道路を「ほろ酔い通り」と命名した歩行者天国にし、ステージを設けて集まった人全員で「乾杯」の発声をあげてきた。「地域ともっと関わり、存在感のある蔵となるにはどうしたらいいか」。祖父が生きていたらいろいろと話してみたいと、勇人さんは思うようになった。(クロスメディア部 小坂剛)

 【荘司勇人(しょうじ・はやと)】1975年、千葉県いすみ市生まれ。東京農大農学部醸造学科卒業後、酒販店勤務などを経て、2001年に父の経営する木戸泉酒造に入社。生まれつき酒に弱い体質だが、大学在学中に実家のつくる酒を飲み、「これは自分の舌に合う、自分が造るべき」と直感した。12年に製造責任者となり、16年から社長。中学、高校、大学と野球に打ち込んだ。趣味はゴルフ。

<筆者紹介>
小坂剛(こさか・たけし) 読売新聞クロスメディア部次長。秋田支局、社会部、メディア局などを経て現職。お酒と食べ物に好き嫌いなし。著書に「酒場天国イギリス」「あの人と、『酒都』放浪」(いずれも中央公論新社)。酒文化の紹介がライフワーク。

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