先祖らの写真を手に「若松屋」の歴史を語る齊藤さん

 たとえ外に出られなくても、おいしいお酒を楽しみたい。心と体に染み入る幸福の一杯。お酒を愛する人々の物語をお届けします。

東京・芝の酒蔵「東京港醸造」

酒蔵のストーリー

 東京のど真ん中、港区芝に「東京港(みなと)醸造」はある。4階建てのビルで延べ床面積はわずか170平方メートル、清酒からどぶろく、あまざけ、リキュールまでを醸す。雑貨店を経営していた齊藤俊一さん(66)が、江戸から明治にかけて先祖が造り酒屋を営んでいた場所に復活させた「ビルの谷間の酒蔵」だ。
 バブルがはじけた1990年代以降、齊藤さんは地元の商店街連合会の役員として、地方の商店街を視察して回った。活気を失った地方都市で、人の集まる数少ない場所が酒蔵だった。祖母が話していた「昔はうちも酒造りをしていた」という言葉が思い出され、「江戸の地酒を復活できないか」と考えるようになる。
 父から継いだ雑貨店を日用品から女性向けギフトショップに変更し、好調な売り上げを記録した時期もあったが、インターネットの普及とともに、店の将来像を展望しにくくなっていた。齊藤さんからみると、東京にはこれといった特産品がないため、酒を造れば外国人観光客の土産としても需要が見込める。そして何より、かつての酒蔵には、人を強く引き付けるストーリーがあった。

若松屋の奥座敷に出入りしていた西郷の書

幕末の志士たち

 「人皆炎熱に苦しむ我夏の日の長きを愛す」。東京港醸造のショップには、薩摩藩出身の明治維新の指導者、西郷隆盛が泊まり賃の代わりに書き残したとされる書のレプリカが飾られている。
 信濃国飯田藩で藩の御用商だった林新作が、藩の主要産品だった和紙を一手に引き受ける紙問屋を作ったことを機に「紙問屋騒動」が勃発した。林家の屋敷は打ち壊され、次男だった金三郎は、酒造りに通じた齊藤重三郎を連れて江戸に進出、造り酒屋「若松屋」を開いた。江戸時代末期、水野忠邦が進めた幕政改革「天保の改革」を支えた後藤三右衛門光亨(みつみち)は金三郎の弟だった。酒屋のそばには芝浜の魚市場や諸藩の屋敷が並び、繁盛していたが、天保の改革が挫折して水野忠邦は失脚、光亨は贈収賄罪に問われて死罪に追い込まれると、林家は若松屋を出て、代わりに齊藤家が経営にあたるようになった。
 「事件をきっかけに若松屋の家族一同は反幕府になっていくんです。それから(幕府と距離を置く)薩摩藩から声がかかり、つながりが深くなっていきました」と齊藤さん。齊藤家は薩摩藩に芋焼酎や濁り酒を納入する出入り商人となった。江戸湾に通じる堀に面して逃げやすかった奥座敷は密談にも利用され、西郷も寝泊まりした。江戸城の無血開城の功労者とされる勝海舟や山岡鉄舟、高橋泥舟もこの奥座敷を利用した。

江戸時代の地図を手に当時に思いをはせる齊藤さん

 江戸城を無血開城に導いた幕末の志士たちがこの場所で議論を戦わせ、新しい時代を切り開いていったのかもしれない。そんな想像をかき立てる。酒蔵は1909年に廃業したが、齊藤家には彼らが飲み代として残したとされる書が伝わる。

名杜氏との出会い

 齊藤さんは、由緒ある酒蔵を復活したいと考えたが、広い敷地も酒造りのノウハウもなくプランは進まなかった。だが、2006年に京都の清酒メーカー「黄桜」がお台場で運営していた小さな醸造所を見学したことから動き出す。日本酒への関心を高めようと、商業施設のレストランに併設されたわずか52平方メートルのスペースだったが、味は本物だった。「これならできるかもしれない」。齊藤さんは支配人を務めていた杜氏(とうじ)の寺澤善実(よしみ)さん(60)のもとに通い、相談を重ねる。
 京都・伏見の酒蔵で20年働いた後、お台場にやってきた寺澤さんは、狭いスペースでおいしい酒を造ろうと夢中だった。協力を求める齊藤さんに、寺澤さんは「狭い場所でも造れますが、生産量が少ないのでもうかりませんよ」と繰り返した。齊藤さんは「もうからなくてもいい」と答えた。目算はあった。自社ビルなので家賃がかからず、空調設備の整った場所で年間通して造る四季醸造なら、秋から冬にまとめて造る「寒仕込み」と違って生産量を調整できる。売れるだけ造れば何とかなる。「黄桜」がお台場の施設の閉鎖を決めると、寺澤さんは齊藤さんとともに芝で新たな挑戦を始める。

江戸開城シリーズはすべて純米酒

難関の清酒免許

 狭い場所での酒造りという技術的な問題もさることながら、免許のハードルも立ちはだかった。国は清酒の醸造免許を交付することには慎重で、新たな取得は不可能とも言われた。齊藤さんはまず11年、比較的取りやすい、どぶろくやリキュールを製造する免許を取得。その後も税務署や国税庁に通いつめ、5年後にようやく清酒の醸造免許を手にした。「最初は門前払いされましたが、本気だと分かってくれたのでしょう。最終的には親身になってアドバイスしてくれました」と齊藤さんは振り返った。
 高級酒米を用いた純米吟醸酒や純米大吟醸酒の「江戸開城シリーズ」、芝や麻布、六本木、銀座といった東京の街をイメージした「東京シリーズ」のほか、甘酒や蜂蜜酒、梅リキュールや梅酒など多彩な商品をそろえて生産量を増やし、新型コロナウイルスによって世界が一変する前の19年末には採算が取れるところまできた。杜氏の寺澤さんがお台場で培った狭い場所での酒造りの技術は、芝で進化を遂げ、未来の酒造りを引き寄せることになる。(クロスメディア部 小坂剛)

齊藤俊一(さいとう・しゅんいち)】1954年東京生まれ。株式会社若松代表取締役。79年明治学院大学卒業後、父が営んでいた雑貨店を継ぎ、日用品からギフトショップに業態変更し、店舗を拡大。不動産業も手がけ、港区商店街連合会の役員も長く務める。2011年に杜氏の寺澤善実さんとともに東京・芝に「東京港醸造」を開設し、祖業の造り酒屋「若松屋」の廃業からおよそ100年ぶりに酒蔵を復興させた。
<筆者紹介>
小坂剛(こさか・たけし) 読売新聞クロスメディア部次長。秋田支局、社会部、メディア局などを経て現職。お酒と食べ物に好き嫌いなし。著書に「酒場天国イギリス」「あの人と、『酒都』放浪」(いずれも中央公論新社)。酒文化の紹介がライフワーク。

→「奥座敷の西郷どん~復活した江戸の地酒が引き寄せる未来の酒造り(下)」
←前編「蔵元はデザイナー~酒蔵引っ張る老舗酒販店の底力(上)」

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