たとえ外に出られなくても、おいしいお酒を楽しみたい。心と体に染み入る幸福の一杯。お酒を愛する人々の物語をお届けします。

常識を覆して夢実現

 祖先が造り酒屋「若松屋」を営んでいた東京・芝の地に、およそ100年ぶりに酒蔵を復活させた齊藤俊一さん(66)。酒蔵といえば、天然の伏流水や地下水を使える広い場所に建てるものと考えがちだが、その酒蔵は都心の4階建てビル、水道水で仕込む。困難とされる清酒免許の取得に成功したことと合わせ、幾つもの酒造りの常識を覆して夢を現実にした。
 京都・伏見と東京のお台場で30年にわたって酒造りをしてきた杜氏、寺澤善実(よしみ)さん(60)の存在が夢の実現には欠かせなかった。祖業の再興、そして東京の地酒復活という夢をかなえた齊藤さんは、「高い技術力を持った寺澤がいたからここまで来られた。今度は彼の夢を後押しするのが自分の役目」と語る。

もろみを移動させるためのパイプ

ここが最先端の醸造所

 寺澤さんの、新たな酒造りへの挑戦は、お台場の商業施設に京都の清酒メーカー「黄桜」が設けた約52平方メートルの台場醸造所から始まった。最初は京都から冷凍麹(こうじ)などの原料を取り寄せ、通常の工程を一部省いて清酒を造っていたが、狭い場所でも普通の酒蔵と同じように造れないかと考えた。
 排気設備のない場所で、米を蒸すために器具を改良したり、米麹を造るためにテントのような仮設のスペースを設けたり。「制限があるからこそ工夫が生まれる。こここそ最先端の醸造所だと思い、試行錯誤を重ねました」と寺澤さん。2008年には全国新酒鑑評会で金賞も受賞し、都心の狭いスペースでも高品質の酒造りが可能なことを証明した。
 この頃、施設を訪れるのは修学旅行生や車で地方からやってくる家族連れが多く、この場所で日本酒を飲む人は多くなかった。醸造所を備えたレストランは当時としては画期的だったが、時代の先端を行き過ぎてしまったのか客足は伸びなかった。高い家賃もあって赤字が累積し、台場醸造所は閉鎖が決まる。支配人の寺澤さんには、生まれ育った京都に戻る選択肢もあったが、退社を決意する。「レストランと醸造所で何十人もが働いていた。支配人はいわば船長、一緒に沈むべきという美学もあり、自分だけ本社に帰るのは嫌だった」(寺澤さん)

周囲のビルに囲まれたベランダ

都心は酒造りに向いている

 齊藤さんが住んでいた約72.6平方メートル(22坪)の敷地に立つ4階建てのビルを改築した酒蔵が、寺澤さんの現在の仕事場となっている。4階で米を蒸し、麹をつくり、3階で仕込みと分析、2階で搾り、1階で貯蔵と瓶詰め、階上から階下へと酒造りが進む。4階のベランダに出ると周りには高い建物がそびえていた。仕込み水は高度浄水処理された東京の水道水だ。

寺澤さんが特許をとった麹を造る機械

 「ビルの谷間だけれども、酒造りに太陽の光は必要ない。周囲はオフィスなので早朝から作業をしても、どこからも苦情がこない。都心は意外と酒造りに向いています」
 醸造所を見学させてもらった5月、新型コロナウイルスの感染拡大の影響で酒造りは休止していた。代わりに造っていたのがしょうゆ。3階の分析室では、小型冷蔵庫のような装置で、しょうゆの素(もと)となる麹が造られていた。
 装置の扉を開くと、熟したように膨らんだ茶色い大豆が並び、香ばしいにおいが立ちこめる。温度は42度。気圧を調整しながら酒やみそ、しょうゆの麹を造る装置で、寺澤さんは昨年、京都時代から付き合いのあるエンジニアと連名で特許を取得した。

無洗米を使った環境にやさしい清酒

駅構内や森林でも

 寺澤さんは19年、コンパクトな場所での酒造りを広めるためのコンサルティング会社「東京港醸造」を設立した。狭い場所で酒やみそ、しょうゆを造る技術を「クラフト蔵工房」としてパッケージ化し、地域の活性化や環境問題の解決にもつなげようとしている。
 その第1号が、東京駅構内に大手酒販店「はせがわ酒店」が設けた東京駅酒造場だ。約23平方メートルのスペースでリキュールやどぶろく、清酒を造る設備を備えている。
 寺澤さんの考える酒造りは都会にとどまらない。人が集まる場所に、その土地の特産品として日本酒や甘酒、みそ、しょうゆを造る施設を設ければ、地域は活性化する。
 東北や関東、四国、九州から相談が寄せられ、森の中での醸造所を備えた宿泊施設や蜂蜜酒の醸造所など、コンパクトな酒造りの計画が各地で動き出している。注目は無洗米を使った酒造り。寺澤さんは無洗米の醸造法を開発し、商品化に成功している。酒造りでは洗米に大量に水を使うことから、洗米工程を省力化し、とぎ汁を出さなくすれば、下水処理設備のない地方の酒造りでのメリットは大きい。
 人口減少社会でのコンパクトな町づくりも寺澤さんの計画に追い風となる。「各地で発酵食品を必要なだけつくることで食品ロスも抑えられるはず」と寺澤さん。都心で始まったコンパクトな酒造りが広がりつつある。(クロスメディア部 小坂剛)

寺澤善実】1960年京都府生まれ。79年黄桜酒造(現・黄桜)入社、約20年にわたって京都市伏見区の本社で、清酒の製造工程全般を経験し技術を習得。2000年に東京・お台場で同社の台場醸造所設立から醸造責任者となり、03年に総支配人。11年に東京・芝で東京港醸造を運営する若松屋で濁酒(どぶろく)とリキュール、16年から清酒の製造をそれぞれ始める。19年にコンパクトな酒造りを支援するコンサルティング会社「東京港醸造」を設立する。
筆者紹介
小坂剛(こさか・たけし) 読売新聞クロスメディア部次長。秋田支局、社会部、メディア局などを経て現職。お酒と食べ物に好き嫌いなし。著書に「酒場天国イギリス」「あの人と、『酒都』放浪」(いずれも中央公論新社)。酒文化の紹介がライフワーク。

←「奥座敷の西郷どん~復活した江戸の地酒が引き寄せる未来の酒造り(上)」
→「ここが夢の始まり」古里をリンゴで元気に、シードル王子の醸造所完成(上)

あなたへのおすすめ記事