たとえ外に出られなくても、おいしいお酒を楽しみたい。心と体に染み入る幸福の一杯。お酒を愛する人々の物語をお届けします。

初仕込みのシードルを手にする藤井さん

初仕込みは完売

 東京・神田でシードルとウイスキーの店「エクリプス ファースト」を営む藤井達郎さん(41)がこの春、古里・群馬県沼田市にシードル醸造所を完成させた。リンゴのスパークリングワインであるシードルに魅せられ、ヨーロッパの生産者を訪ねるなどして国内外でシードル造りを学んできた藤井さん。昨年8月にこの連載企画「一杯の幸福」で紹介したときは、「地元のリンゴを使っておいしいシードルを造ることで古里を元気にしたい」と夢を語っていたが、初出荷を終えた今、その夢は順調に始動している。
 JR上越線・沼田駅から車で約40分。藤井さんのシードル醸造所「Fukiware Cidrerie(フキワレシードルリー)」は、醸造所名の由来となった観光名所「吹割(ふきわれ)の滝」に近い、藤井さんが高校時代までを過ごした家の敷地に立つ。スコットランドのウイスキー蒸留所を思わせる白いペンキで名前の書かれた茶色い平屋造りだ。藤井さんは春先、ここで信頼するベテラン醸造家の竹田重仁さん(60)と2人でシードル造りに没頭した。
 沼田市内のリンゴ農家から、生産量が少なく「幻の黄色いりんご」とも呼ばれる品種の「ぐんま名月」や「ふじ」、「ピンクレディー」、「はるか」、「べにこはく」を仕入れ、今年3月からの初仕込みで約1800本を生産した。群馬や東京の酒販店などに出荷され、完売という。

瓶をさかさにする工程を説明する藤井さん

澱のイメージを変えたい

 藤井さんの理想は、自然の恵みと農家の営みを大切にし、味にこだわる職人醸造所だ。製品を手にして驚いたのは瓶内に漂う澱(おり)の多さ、そして、一口含むと、その澱にりんごのうま味が凝縮されていることにさらに驚かされた。一般的には、澱を取り除くため、リンゴ果汁を搾ったあとに清澄剤を用いたり、濾過(ろか)したりするが、藤井さんはあえて澱を多く残して発酵させることで濃厚で複雑な味わいを生みだした。澄んだものが好まれる消費者の傾向に疑問を感じてもいた。「『澱が入っているのもおいしいんだぞ』というのを消費者に伝えたかった」と藤井さんは言った。
 甘みを残すことにもこだわった。シードルは世界中で造られているが、海外のリンゴは酸味や渋みが多く、天然の酵母で発酵させるため、糖を残した状態で発酵が止まる。一方、酸味の少ない日本の生食用リンゴでシードルを造るには、人工の酵母を加えるため、糖分が酵母に食べ尽くされて辛口となる傾向だ。藤井さんは、瓶を65度ほどの温度で湯せんする「火入れ」と呼ばれる手間のかかる作業で、酵母の働きをとめて甘さを残す。フランスの伝統的な製法も参考に、瓶を逆さにして瓶内で発酵させたあと、口の付近にたまった澱は一度栓を抜いて出し、再び栓をするといった工程も取り入れた。

リンゴを搾ってジュースにする器具は油圧式だ

 価格は750ミリ・リットルで3000円台から4000円台。国産シードルとしては高価で、海外の高級シードルに匹敵する値段だ。「儲けを出すためというよりは、手間がかかっているから。安いシードルばかりになると、小さい事業者は続けられない」と藤井さんは、コストよりも品質を優先していることを強調した。
 東京・神田の店で6年にわたってバーテンダーとして国内外の様々なシードルを提供してきた。「お客さんからのフィードバックを蓄積し、おいしいと思ってくれる味の設計図があります」と藤井さん。造りたいのは、ほんのり甘口のシードルだが、甘口やドライなタイプも楽しんでもらいたいと、初仕込みでは6種類のシードルを送り出した。

醸造所の隣に設けられたバー兼売店

多くの人の助けで

 いつか自分の醸造所を持ちたいと考えていた藤井さんのプランが具体化したのは、古里・沼田市の起業塾に通い始めてから。課題として醸造所建設のプランを提出すると、市から事業化の検討を促された。20年6月に醸造所の運営母体となる「上州沼田シードル醸造株式会社」を設立し、地元の金融機関から建設費や運転資金の融資を受けた。
 醸造所の隣には、シードルやウイスキーを楽しめるバーを兼ねたショップを併設した。天井や壁の装飾やモニター、外の看板などは、今年2月から読売新聞のクラウドファンディング(CF)「アイデア マーケット」で集まった資金を充てた。CFには、店の常連客やバーテンダー仲間など266人から目標金額(60万円)の4倍を超す計275万6000円が寄せられた。「多くの人に自分の目標を応援してもらえていることが実感でき、励みになった。出荷まで目の回るような忙しさだったが、ようやく自分のやりたいことのスタートを切ることができた」と藤井さんは振り返った。(クロスメディア部 小坂剛)

※昨年8月に掲載した藤井さんの記事は こちら
※藤井さんのクラウドファンディングのページは こちら (醸造所完成報告の動画を追加しました)

藤井達郎
 1980年、群馬県沼田市出身。高校卒業後、プロボクサーを経て、バーテンダーに。2015年から東京・神田にバー&シードレリア「エクリプス ファースト」を営む。20年に上州沼田シードル醸造株式会社を設立し、21年に、生まれ故郷の群馬県沼田市でシードルの生産を開始。著書に『知る・選ぶ・楽しむ シードルガイド』(池田書店)。※21年7月現在、醸造所「Fukiware Cidrerie」の一般見学は行っていない。

筆者紹介
小坂剛(こさか・たけし) 読売新聞クロスメディア部次長。秋田支局、社会部、メディア局などを経て現職。お酒と食べ物に好き嫌いなし。著書に「酒場天国イギリス」「あの人と、『酒都』放浪」(いずれも中央公論新社)。酒文化の紹介がライフワーク。

→「ここが夢の始まり」古里をリンゴで元気に、シードル王子の醸造所完成(下)
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