たとえ外に出られなくても、おいしいお酒を楽しみたい。心と体に染み入る幸福の一杯。お酒を愛する人々の物語をお届けします。

藤井さんの実家で行われたお座敷セミナー

醸造所長は犬、整園部長は山羊

 四方を山に囲まれた群馬県沼田市利根町のシードル醸造所「Fukiware Cidrerie」(フキワレシードルリー)の裏手に、代表の藤井達郎さん(41)が高校までを過ごした生家がある。そこで6月下旬、クラウドファンディングで醸造所造りを支援した人を招いて「お座敷セミナー」が開かれた。参加した7人は、シードルの歴史や製法など、藤井さんの話に耳を傾けたあと、初仕込みのシードルをテイスティング、醸造所の見学やバーベキューでのどかな時間を過ごした。
 庭先で、炭火を囲んで山菜や肉を食べていたときのこと。「あのへんは何ていう山?」。参加者から聞かれた藤井さんが真顔で「そのへんの山です」と返すと、笑い声があがった。藤井さんが「所長」に任命した看板犬「リキ」と、雑草を食べてもらおうと「整園部長」を命じた看板山羊(やぎ)「フキ」が庭を歩き回り、愛嬌(あいきょう)を振りまく。
 家は、藤井さんや家族が東京や埼玉に移り住んだあと、しばらく空き家になっていた。家族から「もう処分してもいいのではないか」という意見もあがったが、藤井さんは「(思い出深いこの家を)何とか残したい」と言い続けてきた。醸造所を造ることになったのを機にリフォームし、出荷前などの忙しい時期には泊まり込む場所となった。

「整園部長」の山羊「フキ」

キャンプ場や温泉旅館、リンゴ農家、醸造所を巡るツアー

 リンゴ栽培の盛んな古里・沼田でシードルを造ることで、地域を元気にしたい、という藤井さんの願いは少しずつ形になってきた。シードルの原料となるリンゴを提供する地元の松井りんご園の松井恵一郎さんは、初仕込みのシードルを飲むと、「これはうれしいっすね。こんなにおいしくなるのはうれしいっすよ」と喜んでくれた。ブルーベリーを栽培する農家は、「ブルーベリーもお酒にならないのか」と声をかけてきた。

とんかつとシードルのペアリング(「とんかつ金重」で)

 上質の豚肉の産地でもある沼田には、とんかつ店が立ち並ぶ「上州とんかつ街道」がある。人気店「とんかつ金重」では「Fukiware Cidrerie」のシードルを提供しており、低温で2度揚げた肉厚のとんかつとドライタイプのシードルとのペアリングが楽しめる。
 藤井さんは、店の常連客らを集めて沼田市へのリンゴ狩りツアーを毎年企画してきたが、醸造所がオープンしたことで、それを発展させ、周囲のキャンプ場や温泉旅館とも協力してツアーが組めないかと構想を練っている。「例えば沼田駅で集合し、リンゴ狩りやバーベキュー、シードル造り体験に温泉やキャンプを楽しんでもらう。参加者には2か月後にシードルを届けるというように」と藤井さん。

醸造所の名前の由来となった「吹割(ふきわれ)の滝」。東洋のナイアガラと称される

海外品種使ったシードルやアップルブランデー

 この日のお座敷セミナーで、藤井さんは新たな挑戦を幾つか披露した。一つは海外品種を栽培し、シードルを造ること。生家の横には、すでに苗木を植え、再来年には収穫できる予定だ。
 埼玉県内のウィスキー蒸溜(じょうりゅう)所からは樽(たる)を譲り受け、シードルを詰めた。このウイスキー樽で熟成させたシードルの出荷を計画している。
 現在、醸造所に交付されているのは1年ごとに更新される果実酒の製造免許だが、規定の量を生産して更新を続ければ、リキュールや蒸留酒も製造できる免許が取得できる。リンゴの醸造酒であるシードルは、蒸留すればアップルブランデーになる。「いつか30年寝かせたアップルブランデーを皆で味わえる日を楽しみにしたい。そのときには70歳を過ぎていますけど……。こうやって口に出していれば、やらざるをえなくなりますから」。藤井さんはそう言って、新たな夢をたぐり寄せた。(クロスメディア部 小坂剛)

※昨年8月に掲載した藤井さんの記事は こちら
※藤井さんのクラウドファンディングのページは こちら

藤井達郎
 1980年、群馬県沼田市出身。高校卒業後、プロボクサーを経て、バーテンダーに。2015年から東京・神田にバー&シードレリア「エクリプス ファースト」を営む。20年に上州沼田シードル醸造株式会社を設立し、21年に、生まれ故郷の群馬県沼田市でシードルの生産を開始。著書に『知る・選ぶ・楽しむ シードルガイド』(池田書店)。※21年7月現在、醸造所「Fukiware Cidrerie」の一般見学は行っていない。

筆者紹介
小坂剛(こさか・たけし) 読売新聞クロスメディア部次長。秋田支局、社会部、メディア局などを経て現職。お酒と食べ物に好き嫌いなし。著書に「酒場天国イギリス」「あの人と、『酒都』放浪」(いずれも中央公論新社)。酒文化の紹介がライフワーク。

←「ここが夢の始まり」古里をリンゴで元気に、シードル王子の醸造所完成(上)
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