酒屋から酒蔵に婿入りした小川原貴夫さん

 たとえ外に出られなくても、おいしいお酒を楽しみたい。心と体に染み入る幸福の一杯。お酒を愛する人々の物語をお届けします。

生前の小川原良征さん(依田浩毅さん撮影)

「あっオレ、社長なんだよな」

 蔵元の多くは、酒蔵の経営者のもとに生まれた跡取り息子だが、埼玉県蓮田市にある神亀(しんかめ)酒造の8代目蔵元、小川原(おがわはら)貴夫さん(42)は、東京都墨田区の酒販店から婿入りした。先代は、醸造用アルコールを添加した日本酒が当たり前だった時代、生産する酒をすべて純米酒に切り替え、脚光を浴びた小川原良征(よしまさ)氏(2017年死去)。貴夫さんは、その良征氏から「うちに来てほしい」と声をかけられ長女の佳子さんと結婚し、2017年から社長を務めている。「今でも朝、目が覚めると、『あっオレ、社長なんだよな』って思うことがあるんですよ」。貴夫さんはそう言うと、人なつっこい笑みを浮かべた。

貴夫さんの実家、ニシザワ酒店

頭痛くならない酒

 純米酒とは、米と麹(こうじ)、水だけで造った酒。今では珍しくないが、貴夫さんが高校を卒業して実家のニシザワ酒店(墨田区吾妻橋)を手伝い始めた頃はまだ、日本酒といえば醸造用アルコールを添加したものが一般的だった。貴夫さんは取引先に紹介された江東区・隅田川にかかる新大橋近くの居酒屋で純米酒に出会う。「日本酒を飲むと頭が痛くなるっていうけれど、純米酒なら頭は痛くならないから」と店主は言った。店は、全国に先駆けて純米酒だけを扱う居酒屋として知られていた。扱っていた銘柄のひとつが神亀だった。
 戦前は日本酒といえば純米酒が当たり前だったが、戦争中の米不足から、サトウキビの絞りかすからつくった醸造用アルコールを、酒米で造った醪(もろみ)に加えて3倍に薄め、ブドウ糖や人工調味料や酸味料で味を調えた「三増酒(三倍醸造酒)」が造られるようになる。低コストで大量の日本酒を製造する方法だったから、戦後、米不足が解消されても三増酒の生産は続いたが、「べたべたした悪酔い酒」の批判がつきまとった。
 1970年代に入ると地酒ブームが起こり、醸造用アルコールの量をおさえて調味料を加えない本醸造酒や吟醸酒が造られ、日本酒の質は向上していく。だが、高コストの純米酒はなかなか広がらなかった。そんななかで、神亀酒造は72年に三増酒の生産をやめ、87年には仕込む酒の全てを純米酒に切り替えた。
 良征氏が純米酒造りを志したきっかけは東京農大在学中に恩師から、「娘が日本酒は甘くて混ぜ物が多すぎるのでおいしくないと、ワインを好んで飲んでいる。日本酒は本来の造り(純米酒)に戻らないと、やがてワインに席巻されてなくなってしまうかもしれない」との言葉を聞いたことだったという。卒業後、実家に戻ると、反対されながらも、厳選した酒米を昔ながらの製法で醸し、熟成させて出荷するスタイルにたどり着く(「闘う純米酒」(上野敏彦著))。

酒蔵にたたずむ貴夫さん

神亀見学を機に酒屋を純米酒専門店に

 貴夫さんが純米酒と出会った22、3歳の頃、お酒の小売り免許が取りやすくなり、コンビニやスーパーなど、どこででも酒が売れるような状況が生まれつつあった。酒屋は将来どうなるんだろう。そんな不安を抱え、地方の酒蔵を見学しようと思い立ち、父親と神亀を訪れた。小規模な生産量の酒蔵ながら、「神亀教」と言われるほど熱烈なファンが全国にいた。貴夫さんは、専務として酒造りを先導する良征さんを見て、業界を引っ張る者だけがまとうオーラを感じた。
 このとき神亀の酒蔵で何を見て、良征さんからどんな話を聞いたのか、あまり覚えていない。だが、帰りの電車の中で父親と、「この先、酒屋もどうなるかわからないから、どうせやるなら、いっそのこと純米酒だけの酒屋に挑戦してみよう」と意見が一致した。
 業務用の取引が中心で倉庫のようだった店を改装し、個人客が店内で試飲できる店にした。試飲する分の酒は自費で購入し、常温と燗(かん)でも試飲できるような器具もそろえた。最初に置いた商品は、自分たちで利き酒して、これなら喜んでもらえると感じた五つの蔵の純米酒で、神亀に竹鶴(広島)、萩の鶴(宮城)、伯楽星(宮城)、るみ子の酒(三重)。月に1本売れるかどうかの日が続いたが、試飲できる店は珍しかったこともあり、ジワジワと口コミで客が増えていったという。

神亀は、蔵の裏手にあった池にすんでいたという「神の使いの亀」にちなんだ

酒のキレってどうやってみるの

 貴夫さんは、お酒の仕入れで神亀酒造を頻繁に訪れ、良征さんが千葉や徳島で企画した酒米の田植えにも顔を出すなど、つながりを深めていく。2年以上熟成させてから出荷する神亀は、流行の淡麗辛口やフルーティーな酒とは一線を画した個性的な味。「最初はその良さがわからず、1か月間、神亀のお燗を飲み続けました」と貴夫さん。良征さんは、一升瓶をそのまま鍋で燗につけるほど、燗好きだった。飲み続けるうちに、熟成することで角がとれてまろやかになった味わいや、料理との相性や次の日の酔い覚めの良さなど、他の酒との違いが見えてきて、自らの利き酒の基準になったという。
 良征さんの口癖は「酒はキレだよ。キレがないと料理に合わない」。でも、そもそもキレとはどうやってみるのだろうか――。そんな疑問を貴夫さんにぶつけると、「酒を舌にのせてしばらく待っていると、口の中からさっと消えるんです。切れ味とは、その消え方。もたーっと残らず、スパッと消えるのが、いい酒です」と教えてくれた。今も切れ味は、神亀がもっとも大事にしている要素だそうだ。

「うちに来てくれないか」

 良征さん夫婦の子供は娘2人。貴夫さんには兄がいた。貴夫さんは、婿入りして後を継いでくれる人がいないかと考えていた良征さんの妻から「娘と付き合ってみては」と声をかけられ、佳子さんと交際を始めた。しばらくすると、「そっちの実家は兄に任せて、お前はうちに来てくれないか」と良征さんから声をかけられ、佳子さんと一緒に神亀をもり立てていこうと誓った。
 「最初、自分には無理だと思いました。酒造りの経験ないですし、売った経験しかなかった。酒屋から蔵に来るなんて聞いたことないですしね」。埼玉の小さな酒蔵を全国区に押し上げた先代の功績もプレッシャーだった。だが、先代が自分を信じて、託してくれようとしたことが純粋にうれしく、その期待に応えたい。これも運命だろう、と思った。(クロスメディア部 小坂剛)

小川原貴夫(おがわはら・たかお)】1979年東京生まれ。高校卒業後、家業「ニシザワ酒店」(墨田区吾妻橋)を継ぐ。23歳で神亀酒造の7代目蔵元の小川原良征氏と出会い、ニシザワ酒店を純米酒専門店にする。2010年に良征氏の長女と結婚。13年に神亀酒造に入社し、17年から同社代表取締役、8代目蔵元を務める。趣味は海釣りや野菜作り。
筆者紹介
小坂剛(こさか・たけし) 読売新聞クロスメディア部次長。秋田支局、社会部、メディア局などを経て現職。お酒と食べ物に好き嫌いなし。著書に「酒場天国イギリス」「あの人と、『酒都』放浪」(いずれも中央公論新社)。酒文化の紹介がライフワーク。

→純米酒に導かれ酒屋から酒蔵へ~晩酌は神亀熱燗(下)
←「『ここが夢の始まり』古里をリンゴで元気に、シードル王子の醸造所完成(上)」

あなたへのおすすめ記事