たとえ外に出られなくても、おいしいお酒を楽しみたい。心と体に染み入る幸福の一杯。お酒を愛する人々の物語をお届けします。

世界観を形に

古いモノに美を感じるという熊澤さん

 「酔っ払いは日本を豊かにする」。神奈川県の湘南地域に残る唯一の酒蔵、茅ヶ崎市の熊澤酒造の社訓だ。掲げたのは、6代目蔵元で現社長の熊澤茂吉さん(52)。「どういう意味ですか」と尋ねると、「酒蔵があることで、地域が豊かになったと住民に感じてもらえるような存在になること」だという。
 早稲田大学を卒業後、アメリカを放浪していたという熊澤さん。旅先で魅力を感じたのは、オーナーが自らの世界観を投影して創り上げたカフェや骨董(こっとう)屋。「自分もこんなふうに一つの世界観を形にする仕事ができないか」と考えながら旅をしていたという。そんなとき、「実家の酒蔵が廃業するかもしれない」と知らされ、10か月で旅を切り上げて帰国する。24歳だった。
 実家に戻ると親族会議が開かれ、敷地を売却するために熊澤酒造を廃業するかどうかが話し合われた。長年の経営不振に加え父親が創業した別の事業もバブル崩壊のあおりで危機に陥ったためだ。「お前は酒蔵を継ぐ気がないのか」と祖父から問われたとき、熊澤さんは「自分が六代目を継ぐ。蔵は壊さない」と答えた。「いま思えば、酒蔵を継ぐことで自分の世界観を形にできるのかもしれないと考えたのでしょうね」と当時を振り返る。

日本酒と湘南の青い空

 熊澤さんがその後、熊澤酒造に入ったとき、酒造りを担っていたのは新潟から来ていた越後杜氏(とうじ)。湘南らしい酒を造りたいと伝えたが、生活環境や食生活の大きく異なる場所で生まれ育った人とは、共通の単語を探すのも難しく、話がかみ合わなかった。そこで将来の杜氏候補として採用したのが、鎌倉で生まれ育った現・杜氏の五十嵐哲朗さん(48)だった。熊澤さんは、五十嵐さんをよく知りたいと自宅を訪ねて両親とも話した上で採用を決めた。「無愛想なところがあり、やる気を見極めるのに時間がかかったが、裏表がなく、湘南の将来のお酒を託すにはぴったりな人材と思った」という。

クラフトビールに日本酒、そしてクラフトジン

 越後杜氏がやめたあと、五十嵐さんは、しばらくは兵庫県の酒造会社から教育係として来ていた丹波杜氏のもとで酒造りに励んだ。契約期間が終わって丹波杜氏が去ると、五十嵐さんは杜氏に。後輩2人と3人の「素人集団」で酒造りに挑み始めた。「自分たちだけでやってみると分からないことだらけ。これまでの人生で最もきつかった」と振り返る。そのとき世に出した新しい銘柄が「天青」だった。命名とラベルの書は、熊澤さんの知り合いの父親だった直木賞作家の陳舜臣さん。中国の皇帝が理想の青磁の色を表現した「雨過天青雲破処(うかてんせいくもやぶれるところ)」という言葉が出典で、湘南の空のように突き抜けるすずやかさと、潤いに満ちた味わいを目指している。
 焼酎ブームのまっただ中、日本酒への注目度は低く、天青は湘南や多摩地域にある地酒専門の酒販店に置いてもらうことからのスモールスタート。会社の経営を支えたのはクラフトビールや、敷地内で始めたビアレストランをはじめとする飲食店事業だった。一方で、夏に飲みやすい、アルコール度数を抑えたタイプの「夏酒」を業界でもいちはやく売り出し、搾りたての酒をその日のうちに瓶詰めして出荷する「朝しぼり」も始めるなど、日本酒の楽しみ方の幅を広げる工夫も重ねてきた。

酒蔵を人が集まる場所に

江戸時代に造られた建物の部材を使ったレストラン

 熊澤酒造の敷地はJR相模線・香川駅から徒歩10分ほどの住宅地にある。酒蔵やレストラン、ベーカリーに囲まれた中庭は、メタセコイアの木陰にベンチが並ぶ。ウメやミモザ、ヤマモモといった木々が生い茂る。ランチ時には、子供を連れたお母さんたちでにぎわう。卵やハーブ、野菜を販売する農家の呼び声が響く。さながらヨーロッパのマーケットだ。
 一番奥のレストランは古民家を移築して造った。ベーカリーやカフェにも古い家具や調度品が置かれ、「時を経て美しくなった古いモノが好き。その辺に落ちているさびた鉄の破片にも、何とも言えない味わいがある」と話す熊澤さんのこだわりが投影されている。かつて酒樽(さかだる)や酒造りの道具を修繕する場所だった「桶(おけ)場」は地元の工芸作家の作品を展示・販売するギャラリー「okeba」に。カフェでは、考古学者や映像ディレクターなど様々な分野で活躍する人を招いたトークショー「暮らしの教室」も開かれる。

中庭を囲むように酒蔵やレストラン、カフェがある

 「酒蔵にはいろんな側面がある。酒を造っているから工場的なところもあるが、かつて農作業が終わったあとに人々が集まって酒を酌み交わし交流したように、地域のハブ(中心)としての性格もある」と熊澤さん。イギリスでパブは、単に酒や食べ物を提供する場所というだけでなく、地域の娯楽や祝祭、金融、文化活動を支える拠点でもあった。熊澤酒造が向かっているのは、そうした地域の公共的な役割をも担う拠点としての酒蔵なのかもしれない。(クロスメディア部 小坂剛)

熊澤茂吉(くまざわ・もきち)】 1969年神奈川県茅ヶ崎市生まれ。早稲田大学卒業後、アメリカを10か月放浪。96年に熊澤酒造の6代目蔵元として社長に就任。廃業の危機にあった実家の酒蔵を立て直した。アメリカやヨーロッパを旅すると、お酒を造る場所のある町は、どこか風情があり、心地よく感じるといい、「熊澤酒造という酒蔵があることで、よい町だと感じてもらえるような存在になりたい」と考えている。

 <筆者紹介
小坂剛(こさか・たけし) 読売新聞クロスメディア部次長。秋田支局、社会部、メディア局などを経て現職。お酒と食べ物に好き嫌いなし。著書に「酒場天国イギリス」「あの人と、『酒都』放浪」(いずれも中央公論新社)。酒文化の紹介がライフワーク。

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