たとえ外に出られなくても、おいしいお酒を楽しみたい。心と体に染み入る幸福の一杯。お酒を愛する人々の物語をお届けします。

コロナ禍で「音楽喫茶」

 東京・神楽坂にあるバー「家鴨(あひる)社」は、新型コロナウイルスの緊急事態宣言でお酒の提供ができない期間中は、コーヒーやソフトドリンクを提供する「喫茶店」として営業している。もともと約3000枚のレコードを有するリスニングバー。お酒だけを提供するバーが軒並み休業を強いられるなか、レコードと音楽を生かして店を開いている。

営業時間と酒類提供をしないことを知らせるはり紙

 「もともとジャズ喫茶っぽいものをやってみたかったんです」。一人で店を営む岡村修平さん(43)が、ゆったりとした口調で言った。喫茶店としての営業時間は午後3時から8時、バーの営業時間(午後5時から午前3時)の半分。平日は夕方、テレワークを終えた近所の人が訪れる程度で、客単価も売り上げも大幅に減った。酒類提供の自粛で得られる協力金と、人を雇っていないので人件費がかからないという事情から継続できている。
 2度のワクチン接種を済ませ、カウンターにはアクリル製の間仕切り、消毒効果のある蒸気が出る装置を設置した。「コロナだからといって、どこも行く場所がないとつまらないでしょうから、ルールを守りながら気分転換できる場所を提供したいと続けています」と岡村さんはほほえんだ。

音楽と会話の両立

 

カウンターがT字に配置された店内

 狭い入り口から細長い店内に入ると、正面のバーカウンターに向かって左奥、高さ約2メートルの棚に二つのスピーカーがある。そこから店の右側に向かって流れる音楽は、客が交わす声よりも高い位置を進むから、音楽が会話の邪魔をしにくい。右奥には、メインカウンターと直角にもうひとつのカウンター。スピーカーの音を正面から受け止め、じっくりと音楽を聴きたいお客さん向けのカウンターで、ガラード社製のターンテーブルも据えられている。
 マランツ社のプリアンプにマッキントッシュ社のメインアンプ、ジェンセン社のスピーカーと、オーディオファンをうならせる名機をそろえている。ここで日本のポップスやジャズ、ロックにクラシックとジャンルを超えて「何でもかける」のが岡村さんのスタイル。ユーミンや山下達郎といった多くの人が耳にしたことがある音楽も。「ああ懐かしい! でも、いつもと違う。あっ、レコードで聴くと、こんなにいい音なんだ」。驚くお客さんを見るのが楽しい。

バーは現代の茶室

 岡村さんが自分の店を構えるときに影響を受けたのが、新宿のリスニングバーで雇われ店長をしていた頃に始めた茶道だった。入門したのは江戸時代初期の大名茶人、小堀遠州を始祖とする遠州流。千利休が完成させた「わび・さび」の精神に美しさや明るさ、豊かさを加えた「綺麗(きれい)さび」を神髄とする。遠州は利休と古田織部に茶の湯を学び、器などに独自の世界を切り開いた織部の影響も内包し、より開かれた茶室へと進化させた。

岡村さんは茶道の上席師範

 「バーは現代における茶室」と考える岡村さんは、「オーセンティックバーが、利休時代のどこかかしこまった狭い茶室だとすると、遠州流の茶室のように緊張感を強いない、開放感のある雰囲気のバーを構えたいと考えました」と説明する。照明はバーとしては明るめで、バックカウンターには、酒のボトルがゆったりと並び、圧迫感がない。高い天井に向けて、カウンターの中央の花瓶から伸びるのはドウダンツツジ。週に1度、そのときどきに美しいと思った枝ものを花屋で買って生ける。
 喫茶店営業に切り替えているときは、コーヒーや紅茶とともに、季節に合わせて水ようかんやおはぎ、カステラといった菓子も出す。音楽を聴きながら茶菓を楽しめる。

店の形すべてに理由がある

 

岡村さんお気に入りのグラス

 「自分のやりたいことや美意識をかたちにしたのがこの店。『僕のやりたいことは、こういうものですが、どうでしょう?』とそれとなく伝える場所です」と岡村さん。店の名前「家鴨社」は、ミュージシャンの小沢健二の小説「うさぎ!」に出てくる会社名からとった。岡村さんが店で白衣を身につけている理由は、「バーテンダーの扱うお酒は毒にも薬にもなる。その意味で酒の調合は薬剤師と同じ」と考えているから。
 カウンターの長さや配置、椅子の高さ、グラスのチョイス……。自分でつくった店のすべてに、自分なりに考え抜いた理由がある。だが、「『これを見てほしい』『うちのオススメはこれです』と押しつけるのはあまり好きじゃない。楽しめるポイントはこちらで用意しますから、店を訪れて、もし何か感じるところがあったら、ニヤッとしてくれれば十分です」と岡村さんは言うのだ。(クロスメディア部 小坂剛)

岡村修平】1978年東京生まれ。小学生まで東京で過ごした後、両親の実家がある高知県に。中学・高校時代を高知で過ごし、深夜ラジオ・オールナイトニッポンで大槻ケンヂのファンになり、筋肉少女帯にのめり込む。大学入学とともに上京し、ライブハウスに通うように。大学在学中に恵比寿のオーセンティックバー「ODIN(オーディン)」で働き始め、その後、新宿三丁目のリスニングバー「NICA(ニカ)」で店長を務め、2014年11月に「家鴨社」を開く。茶道「遠州流」の上席師範。

<筆者紹介>
小坂剛(こさか・たけし) 読売新聞クロスメディア部次長。秋田支局、社会部、メディア局などを経て現職。お酒と食べ物に好き嫌いなし。著書に「酒場天国イギリス」「あの人と、『酒都』放浪」(いずれも中央公論新社)。酒文化の紹介がライフワーク。

→「リスニングバーという至福~レコードという珠玉(下)」
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