巣ごもり需要で直売所の売り上げは伸びていると田中さん

 たとえ外に出られなくても、おいしいお酒を楽しみたい。心と体に染み入る幸福の一杯。お酒を愛する人々の物語をお届けします。

酒蔵にDJブース

一昨年開かれた豊島屋フェスタのDJブース(田中さん提供)

 慶長元年(1596年)創業の豊島屋は、ひな祭り用の白酒を除けば、300年近く仕入れた日本酒のみを販売した。自ら酒を造りたいと兵庫・灘に酒蔵を構えたのは明治中期、十二代当主の吉村政次郎だった。十六代当主の吉村俊之・現社長(61)の曽祖父にあたる政次郎は、新たに醸した清酒を、銀婚式を迎えた明治天皇の末永い幸せをお祈りするという意味から「金婚」と命名し、今も続く看板銘柄を立ち上げた。豊島屋は東京・神田で酒類や食品の卸売りを営む会社組織の豊島屋本店となり、酒蔵は昭和初期に東京・東村山に移転し、分社化して豊島屋酒造となった。「金婚」は東京の明治神宮と神田明神で今も唯一の御神酒とされている。

巨木のケヤキが酒蔵の目印

 豊島屋酒造は、新宿から電車で30分余り、東村山駅からさらに徒歩20分の住宅地にある。道路脇の巨大なケヤキが目印、入り口近くで清酒やみりんを販売する直売所には、ヒップホップやクラブミュージックが流れている。
 新型コロナウイルスで、昨年から実施できていないが、毎年11月に酒蔵を開放し、開催する豊島屋フェスタは1500人が詰めかける人気イベント。蔵で造る新酒を楽しめるだけでなく、酒蔵の一角にDJブースや映画館がもうけられ、都内各地から出店する飲食店自慢のつまみも味わえる。チケットはすぐに完売、参加者は酒蔵の前の道路に長い行列をつくる。
 「日本酒の価値をいろんな人に知ってもらうには、若い人のコンテンツを織り交ぜたほうがいい。DJ目当てに来た人が日本酒好きになったり、日本酒を飲みに来た人がクラブミュージックを気に入ったりといった化学反応が起きています」。そう話すのは、豊島屋酒造営業部長の田中孝治さん(47)。吉村社長と同じく政次郎のひ孫で、豊島屋酒造社長の長男として、酒蔵を切り盛りしている。豊島屋本店社長の吉村さんの祖母と、田中さんの祖母は姉妹だが、姉が婿を取り、妹が嫁いだことから姓は異なる。

東京の酒蔵の最強の武器とは

最近よく売れているのはみりんと田中さん。そのまま飲むのがオススメ

 「豊島屋酒造をもっと知ってほしい」と田中さんたちが最初に始めたのが「夜の酒蔵見学」。仕事が終わってからも来られる時間帯で、酒蔵見学を1時間、もう1時間で試飲やつまみとのペアリングを体験してもらう。すぐに参加希望者が定員を上回る人気イベントとなり、試飲を楽しみに各自が自慢のアテを持ち寄るのが恒例になった。
 書道の作品を酒蔵に並べたい、映画を上映したい、カカオ豆とチョコレートの講習会を開きたい……。企画が持ち込まれ、酒蔵が地域に開放されるたび、注目度が増した。
 「地方の酒蔵と違って風光明媚(めいび)な場所にあるわけでない、工場と間違えられてしまうようなたたずまいが最初は嫌だった」と振り返る田中さんだが、「都心に近いロケーションは情報発信には最強の武器になる」と考えを改めた。わざわざ一日かけて地方の酒蔵を見学するのは難しいが、1~2時間で行けるなら見てみたい、という客層を呼び込める。そこで思いを直接伝えれば、ファンを増やしていける。

江戸の地酒を造りたい

 「江戸の呑(の)み倒れ、京の着倒れ、大阪の食い倒れ」と比較されるほど、酒好きで知られた江戸の庶民たち。飲んだ酒の多くは剣菱をはじめ上方(近畿地方)の大規模な醸造業者が造り、海路運ばれた「下(くだ)り酒」だった。関東で小規模な業者が造ったものは質の落ちる「地回り悪酒」や「下(くだ)らない」酒とさげすまれ、「くだらない」という言葉が残ったとされる。江戸の酒場の発展を丹念に調べた「居酒屋の誕生 江戸の呑みだおれ文化」(飯野亮一著)は、18世紀、商品は西から東、貨幣はその逆に東から西へと流れたが、酒造業では特にその傾向が強かった、と指摘している。
 近年になっても関東、特に東京で造られる酒の存在感は希薄だった。田中さんはスーパーの青果部門で働いた後、父親の経営する豊島屋酒造に入ったが、地酒を専門に扱う店に東京の酒がないことにショックを受ける。20歳代半ばで広島の酒類総合研究所で研修を受けたとき一緒だった地方の蔵元の酒が、続々と東京の地酒専門店に登場していた。「どうしたら地酒専門店に置いてもらえるような酒を造れるのか」

主張や芯のある酒

 悩んだ田中さんは、研修で相部屋だった、日高見の平孝酒造(宮城県石巻市)の蔵元、平井孝浩さんを頼った。そこで教えられたのが、圧倒的な品ぞろえで全国にその名を知られる東京都多摩市の地酒専門店「小山商店」。田中さんは石巻から戻ると直接、小山商店を訪れ、社長(現会長)の小山喜八さん(72)に「新しい東京の酒を造って世に問うにはお力添えが必要です」と頭を下げた。「それなら新酒を造って持ってこい。それを飲んで取引するかを決めようじゃないか」。小山さんは応じた。
 蔵に戻った田中さんは杜氏(とうじ)や蔵人たちと、新たな酒造りに着手する。酒米は長年使ってきた八反錦、少量生産で、香りと甘味、キレのバランスが良い味わいを目指した。翌春、絞りたての酒を持って訪れた田中さんに、小山さんは「粗削りだけれど、いいんじゃないか、初めてにしちゃあ」とひとこと。取引が決まった。銘柄は、取引先となる酒屋や飲食店の繁栄を守るような商品に育ってほしいと、「屋守(おくのかみ)」と名付けた。

「屋守」は特約店のみで販売し、直売所でも売らない

 「東京の地酒とは」。そう問われた田中さんはこう言った。「地方の地酒が郷土の料理に寄り添うものだとしたら、あらゆる料理が集まる東京で、何かに合わせる必要はない。酒だけで主張というか、芯があればいいと思っています。シンプルだけど一度味わった人が、何年かたって、ああ、あの味がまた飲みたいと思い、楽しめる酒」。誕生から約20年、田中さんたちの思いの詰まった「屋守」は、造り方をほとんど変えていないが、売り上げはジワジワと伸びている。(クロスメディア部 小坂剛)

田中孝治(たなか・たかはる)】
 1974年東京都生まれ。明星学園高校から経理や簿記を学ぶ専門学校を経て、スーパーの青果部門で働く。98年に父が社長をつとめる豊島屋酒造に入社し、広島県にある国税庁所管の独立行政法人「酒類総合研究所」で研修。現在は同社営業部長。マウンテンバイクで多摩湖や狭山湖のサイクリングロードを走るのが趣味。ハードボイルド小説が好きで、大沢在昌や白川道のファン。

筆者紹介
小坂剛(こさか・たけし) 読売新聞クロスメディア部次長。秋田支局、社会部、メディア局などを経て現職。お酒と食べ物に好き嫌いなし。著書に「酒場天国イギリス」「あの人と、『酒都』放浪」(いずれも中央公論新社)。酒文化の紹介がライフワーク。

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