昨年7月にオープンした豊島屋酒店(緊急事態宣言期間中は休業)

 たとえ外に出られなくても、おいしいお酒を楽しみたい。心と体に染み入る幸福の一杯。お酒を愛する人々の物語をお届けします。

豊島屋は弊社でございます

 江戸幕府を開いた徳川家康が江戸城を大改築したとき、河川で運んだ資材を荷揚げしたのがお濠(ほり)(現・日本橋川)沿いの鎌倉河岸(がし)(現・東京都千代田区内神田)。豊島屋はここで慶長元年(1596年)、酒屋兼一杯飲み屋を始めた。酒とつまみを出す居酒屋が江戸で広まるのは18世紀、豊島屋はその先駆けであった。

江戸名所図会に描かれた、豊島屋での白酒の売り出し風景

 上方(近畿地方)で醸され、海路、波に揺られることでうま味を増した「下(くだ)り酒」と、大きな豆腐に辛めの味噌(みそ)をつけて焼いた田楽を元値で客に提供し、大量に出る空き樽(だる)を売ってもうけにした。ひな祭り用の白酒の売り出し日に、桶(おけ)を持った客が行列をなす様子が、江戸後期に編まれた観光案内「江戸名所図会」に描かれている。
 この豊島屋が、鎌倉河岸から神田猿楽町へと移り、酒類・食品商社の豊島屋本店として、いまも「現役」でいることは意外に知られていない。作家の佐伯泰英氏は2001年に時代小説「鎌倉河岸捕物控」シリーズをスタートさせ、鎌倉河岸で起こる事件と、長屋に住む若者たちの躍動を描いた。着想を得たのは「江戸名所図会」に描かれた豊島屋で、豊島屋の主人やお内儀(かみ)、看板娘ら登場人物を設定し、だれもが集まり本音を言い合える舞台装置としたが、この豊島屋が現存していると最初は知らなかった。
 「取り上げられている『鎌倉河岸 豊島屋』とは弊社のことでございます」。02年に出版されたシリーズ3作目『御金座破り 鎌倉河岸捕物控』を読んだ常務(現・社長)の吉村俊之さん(61)が、出版社に現在も豊島屋が続いていることを知らせる手紙を書いた。佐伯氏は後に「あの手紙が早くても遅くても物語の展開にはよくなかった。現存すると知っていたら、ああ勝手には描写できなかった」などと振り返り、シリーズ最終32巻の「完結の弁」で吉村さんに感謝の思いを伝えている。

豊島屋本店の法被をまとう吉村社長

3回つぶれそうになった

 企業が100年を超えて存続することすら難しいとされるのに、豊島屋はなぜ400年以上も続いているのか――。吉村さんによると、3回の危機があったという。明治維新で顧客の武士から売掛金を回収できなくなったときと、関東大震災と太平洋戦争で、それぞれ店舗を失ったときだ。
 明治維新のときは、東京のそば店に販路を開拓して復活した。震災や空襲で家屋を焼失したときには、取引先が支援を申し出てくれた。「当主や社員も血のにじむ努力を重ねたでしょうが、『お客様第一、信用第一』『ほか様より利益を少なくしても、お得意様を増やすべきである』との家訓を守り、中長期的な顧客との信頼関係を築いていたからこそ乗り越えられた」と吉村さんは、感謝の念をもって振り返った。
 創業の商いを再興しようと豊島屋本店は昨年7月、江戸の居酒屋を現代風にアレンジした「豊島屋酒店」を地上21階建ての再開発ビル「KANDA SQUARE(神田スクエア)」1階に構えた。新鮮なマグロや、老舗の豆腐と味噌を用いた田楽を小ぶりにして出すなど、つまみにこだわった立ち飲みの店で、数年前から準備してきた。だが、新型コロナウイルスで、なかなか思うように営業できていない。業務用の酒などの売り上げも落ち込んでいるが、吉村さんは「震災や空襲で店がつぶれて商売できなくなったときとは全く違い、店はある。厳しい時期だからこそ、お客さんに寄り添い、信頼関係を大事にしながら前に進もうと社員には伝えています」と力を込めた。

東京の材料だけでつくった「江戸酒王子」

羽田空港限定商品、コンビニで高級酒

 豊島屋がもうひとつ、経営の考え方として大切にしてきたのは俳聖・松尾芭蕉が残したとされる「不易流行」の言葉。伝統をかたくなに守りつつも、新しいものを大胆に取り入れてきた。江戸時代から続く、ひな祭り用の白酒を今も同じ製法で造り続けることや、新商品に創業者名の「十右衛門」をつけることなど、伝統を重んじる一方で、新商品の開発にも力を入れる。羽田空港の免税店に、外国人旅行者向けの限定商品「羽田」を発売。「若者に東京の酒を知ってもらうにはタッチポイントは多い方がいい」と、コンビニに300ミリ・リットル瓶も置いている。ただし、質の面では妥協できないと先方と交渉し、他の酒の2倍以上の価格設定だ。海外への輸出にも力を入れている。

昔ながらの製法で生産を続ける白酒

半導体研究者からの転身

 吉村さんが家業に入ったのは41歳、それまでは半導体の研究者だった。私立麻布中学・高校時代に科学の面白さに目覚め、京都大学理学部と同大学院で物理学を専攻。日立製作所の中央研究所で半導体の集積度を高める最先端の研究に従事してきた。
 主任研究員の地位にあった30代後半、高齢にさしかかった父親から「家業に入ってほしい」と頼まれる。父親も元研究者だった。日立には定年まで勤めるつもりで入社したが、「東京で一番古いとされる酒屋を父親の代で終わらせるわけにはいかない」と覚悟を決めた。研究のことしか知らなかったので、日立を退職してから外資系のコンサルティング会社で2年間経営を学び、2001年に家業に入った。その5年後に社長となる。
 吉村さんは「圧倒的に知識が少ないので、今も修業中の身」としながらも、「別な世界の視点から家業を見ることができるのはプラス。人の倍の人生を生かさせてもらっているような感じがする」と穏やかに話した。(クロスメディア部 小坂剛)

吉村俊之(よしむら・としゆき)】
 1959年、母の実家があった大阪府で生まれる。85年に京都大学大学院修士課程(物理学)を修了し、日立製作所に入社。同社中央研究所で、半導体集積回路の加工プロセスの基礎研究や開発に従事。工学博士。戦略系経営コンサルティング会社を経て2001年に家業の豊島屋本店に入社。06年に同社社長となる。中学、高校時代は硬式テニス部に所属。週に1度は泳いでいる。

筆者紹介
小坂剛(こさか・たけし) 読売新聞クロスメディア部次長。秋田支局、社会部、メディア局などを経て現職。お酒と食べ物に好き嫌いなし。著書に「酒場天国イギリス」「あの人と、『酒都』放浪」(いずれも中央公論新社)。酒文化の紹介がライフワーク。

→「創業400年、江戸の酒屋・豊島屋が今も続く理由(下)」
←「リスニングバーという至福~レコードという珠玉(上)」

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