お酒を愛する人々の物語をお届けします。

ブドウで決まる、土で決まる

 フランス南西部のコニャック地方で発行される地方紙の1面で、鯉沼康泰さんが「コニャック狂の日本人」と紹介されたのは2010年1月のことだった。当時51歳。東京でトリュフやフォアグラ、キャビアといった高級食材の輸入会社を経営していたが、合間を見てはこの地方を訪れ、ブドウ農家の作業を手伝いながら農家の経営する宿に滞在し、自転車でブドウ畑や高級ブランデーのコニャックの造り手を訪ね歩いていた。ボトルを買ってきては食堂に並べてテイスティングし、ノートに記録した。毎年数か月、数百万円を投じて理想のコニャックを訪ね歩く姿は、まさに「Dingue du Cognac(コニャック狂)」の言葉通りだった。

鯉沼さんが記録を続けてきたテイスティングノート

 ブランデーは果実酒を蒸留して造るお酒の総称だが、コニャック地方で造られ、白ブドウを発酵させてワインにしたあと、2度の蒸留を経て、オークたるで2年以上熟成させたもののみをコニャックという。ブドウ畑の地形、テロワールと呼ばれる土壌に含まれる成分が味わいを決める。鯉沼さんは土の違いを確かめようとスコップを持って畑に入り、斜面の土まで採取した。コニャックもワインと同じようにブドウで決まる。同じ畑でも土が違えば、味わいも変わってくるからだ。

唯一無二の酒

 あなたはどのコニャックが一番と考えるのか? 地方紙の取材で問われた鯉沼さんが挙げたのは、ポール・ジローやジャン・フィユー、ラニョー・サブランといった、ブドウの栽培からビン詰めまでを一貫して手掛ける比較的規模の小さな造り手たち。当時、コニャックといえば、カミュやヘネシー、レミー・マルタンといった大手の商品が世界的に有名で、手仕事で良質なコニャックを生み出す小規模な生産者は知られておらず、経営も厳しかった。大手を脇に置いて小規模な造り手に注目する鯉沼さんの記事を読んだフランスコニャック協会のダビッド・ボワロー事務局長は感心し、コニャックを広める役割のエデュケーターという称号を日本人で初めて鯉沼さんに贈った。

鯉沼さんの運命を決定付けた新聞記事

 コニャックは、白ワインを蒸留してアルコール度数をいったん72度まで高めたあと、40度に落とす。鯉沼さんによると、石灰質の土壌でできるアルコール度数の低いワインは、蒸留するときの濃縮率が高く、香りのもととなる成分がより凝縮されるため、長期の熟成に耐えるのだという。10年でピークを迎えるものもあるが、長いものは100年の時を経てなお濃厚な香りを放つ。
 大西洋に注ぐシャラント川の両岸に広がるブドウ畑を育む温暖な気候も唯一無二のコニャックを生み出す条件。コニャックは世界で最高の蒸留酒の代名詞でもあり、鯉沼さんは「ブランデーをつくる地域は世界中にあるが、コニャック以上のものはない。まさしく奇跡の酒」と言い切る。
 最大の魅力は香り。花や果物にたとえられることはあっても、そのいずれとも異なる繊細な香りを、この世に誕生させる。

コニャック市内はブドウ畑が果てしなく広がる

フランスに導かれて

 鯉沼さんのフランスとの出会いは家出同然で故郷・栃木から上京し、入学した都立高校在学中のこと。同人誌で詩や小説を書いていた。友人の父親が詩人で、南仏のコートダジュールを旅したときの思い出や、ニースのカーニバルを題材にした詩について語ってくれた。「いつか自分も行ってみたい」。新聞配達で金をため、20歳の時シベリア鉄道経由でニース大学に留学した。1年半滞在してフランス語を学び、帰国すると、フランスの食材を輸入する会社に就職した。その社長、ジャン・ジョルジュ・ソベートルさんがコニャック地方出身のフランス人だった。コニャックを日本にもっと広めたいと考えていたソベートルさんは、1990年に鯉沼さんをフランスに派遣し、現地の大学でコニャック造りを学ばせてくれた。
 その後、会社の業績不振でソベートルさんが社長を退任してフランスに帰国すると、鯉沼さんも会社を去り、トリュフを輸入する会社をつくった。そこからが、どん底の日々だった。資金不足から、野菜を運搬するアルバイトをしながら、従業員も雇えず、自らハンドルを握って早朝から深夜までトリュフや野菜の配達に追われた。睡眠不足で事故を起こしたことも。年商が4億を超えて利益を確保し、事業が軌道にのるまでに10年近くかかった。

日本人の飲みやすいコニャックを

 2006年に酒販店や輸入会社の人たちとコニャック地方に行き、生産者を訪ねたことが転機となった。小規模な造り手がブドウ畑を売るなどし、存続の危機にあることを知った。コニャックの小規模な造り手を守るためには、日本でコニャックの愛好家を増やさなければと考え、日本コニャック協会を設立し、毎年この地を訪ねている。ソベートルさんの志を継がなければという思いもあった。
 鯉沼さんは現地の造り手に、日本人が好むライトなコニャックを作ってほしいと要望し、現地の造り手も日本向けの商品を生産するようになった。一般的に、フランス人は食後、色の濃いヘビーなコニャックを葉巻やチョコレートと合わせるが、日本人が好むのは食中や食前にもワインのように飲める軽くて香り立つタイプ。色は薄く、10年もので価格も手ごろなのが理想と鯉沼さんは考えている。

60年熟成は60歳でわかる

 鯉沼さん自身が小規模な造り手のコニャックを輸入するようになったのは10年ほど前からだが、コニャック事業自体はあまりもうからないという。レストランで蒸留酒を飲む人は少なく、1店に1本入れたら、なくなるのに1年はかかる。採算度外視で、輸入したコニャックを取引のあるフランス料理店にお中元やお歳暮で贈り、バーテンダーやシェフ、ソムリエを集めてコニャックの講習会やテイスティングパーティーを重ねてきた。ビジネスではなく、世の中に良いものを残したいという信念からだ。

「コニャックへの情熱を受け継ぎたい」と話す長男の衆斉さん

 鯉沼さんは4年前、食材の輸入を手掛ける鯉沼商会の社長を長男の 衆斉ともなりさん(32)に譲り、会社の役職を退いたあとは、ボランティアとしてコニャックの普及に取り組んでいる。日々欠かさないのがテイスティングした感想をノートに書き留めること。「年とともにおいしいと感じるコニャックが変わってくる。60年熟成させた良さは60歳になって初めてわかります」(クロスメディア部 小坂剛)


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鯉沼康泰氏(こいぬま・やすひろ)】1959年栃木県生まれ。日本コニャック協会代表。80年に単身フランスに渡り、ニース大学に留学。帰国後、フランス食材輸入販売会社勤務を経て90年に再渡仏し、コニャックについて学ぶ。93年にフランスの食材や酒類を扱う鯉沼商会を設立。2011年にはフランスコニャック協会が認定する「エデュケーター」の資格を、日本人で初めて取得した。

<筆者紹介>
小坂剛(こさか・たけし) 読売新聞クロスメディア部次長。秋田支局、社会部、メディア局などを経て現職。お酒と食べ物に好き嫌いなし。著書に「酒場天国イギリス」「あの人と、『酒都』放浪」(いずれも中央公論新社)。酒文化の紹介がライフワーク。

「酒場天国・日本をもっと楽しく〜神楽坂に酒育の伝道師あり」
(前編)「バーと一口に言うけれど、コロナで見えたオーセンティックバーの居場所とは?(上)」

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