お酒を愛する人々の物語をお届けします。

守られなかった夜間の営業規制

 飲食店の営業は午後6時まで。といっても、コロナ禍の昨今ではない。舞台は4代将軍・徳川家綱治世、1660年代の江戸。調理に火を使う飲食店は、火事を招く恐れがあると、奉行所がお触れを出した。だが、「このお触れはあまり守られなかったようです」と食文化史研究家の飯野亮一さん(83)。お触れは繰り返し出されたが、夜間営業をする店は減らず、約30年後の徳川綱吉の時代、屋外での営業だけを禁止し、店舗での夜間営業は解禁される。
 お触れで主なターゲットとされたのは煮売(にうり)茶屋。料理をメインに酒も出す店だ。煮売茶屋からは、次第に酒を中心に提供する「煮売酒屋」が派生する。一方、酒を販売する酒屋からも、店で酒を飲ませる「居酒(いざけ)」に重きを置く「居酒屋」が出てくる。両者が接近し境目がなくなり、「居酒屋」というひとつの業種となる。「居酒屋」という言葉が登場するのは1750年頃。それから250年以上がたち、飲食業が多様化した今も盛り場の主役だ。文献を駆使し居酒屋の成り立ちを解き明かした飯野さんの著書「居酒屋の誕生」を参照しつつ、江戸が発明した居酒屋という長寿のビジネスモデルを飯野さんと考えてみたい。

江戸の飲食で最大業種

 居酒屋が長く続いてきたのは、庶民が気軽に飲める場所だから。ひとりでも仲間連れでも行けるし、単品で注文した料理を共有できる。何より安い。会席料理や酒を出す料理茶屋は、商人が武士を接待したり、各藩の江戸屋敷に常駐する江戸留守居役が情報収集に使ったりしたが、庶民には高根の花だった。

飯野さんの書斎に置かれた江戸の史料

 江戸は男社会。6代将軍、徳川家宣の時代、1711年の記録によると、約50万人の町人のうち約32万が男性で約18万が女性、独身の男性も多かった。多くの町民は広さ6畳ほどの長屋で暮らしたが、台所は狭かった。居酒屋は外食に頼らざるをえないという人々に支持された。
 居酒屋という言葉が使われて半世紀あまりたつと、飲食業の約4分の1を占めるまでに増える。1811年に町年寄がまとめた調査によると、飲食業に相当する「食類商売人」7604軒のうち、「煮売居酒屋(居酒屋)」は1808軒で、「うどん屋・そばきり屋」(718軒)や「茶漬け・一膳飯など」(472軒)、「貸座敷・料理茶屋」(466軒)を上回った。
 人口比でみると煮売居酒屋は553人に1軒あった計算になり、この数字は2006年に総務省統計局がまとめた「酒場、ビヤホール」(大衆酒場や焼き鳥屋などを含む)の数で、当時の人口を割った546人に1軒とほぼ同じだという。江戸でも現代でも、居酒屋の存在感はそう違わないらしい。居酒屋に入って酒とつまみを味わいながら、江戸の暮らしに思いをはせるのも楽しい。

縄のれんと朝営業

居酒屋の縄のれんは江戸の後期から

 江戸の居酒屋から続く調度のひとつが、縄のれん。居酒屋の店先には、料理で提供する魚や鳥、タコがぶらさがっていたという。夏場は腐りやすく、客が触れることも考えれば不衛生な感じもするが、客を集める効果があったのだろう。それが、江戸の後期あたりから、縄のれんに変わっていった。外から店内の様子をうかがえ、店内のにおいを店の外に漂わせることから、はじめはうなぎのかば焼き屋などで使われていたが、居酒屋にも広まり、明治以降、居酒屋といえば縄のれんというイメージが定着した。

居酒屋のカウンターに重なる平(はい)(藤原法仁氏撮影)

 現代と異なるのは営業時間。あかりのいらない日中が営業の中心で、朝早くから営業し、食事も提供していた。一方、遊郭帰りの客を当て込み、オールナイトで営業していた店もあり、「夜明かし」と呼ばれていたそうだ。幕末になると、立ち飲みとみられる「一寸(ちょっと)一杯」、安い濁り酒を提供する「中(くみ)」、いもの煮っころがしを出す「いも酒屋」など様々なタイプの居酒屋が現れた。庶民の要求に合わせ、進化を遂げていった。

今のテーマは江戸の晩酌

江戸に関する飯野さんの著作

 栄養士や調理師を養成する専門学校で長年にわたって食文化史を教えてきた飯野さんは若い頃からお酒好き。高級な店で飲むより、リラックスした居酒屋が好きということもあって、70歳を過ぎて居酒屋をテーマに執筆を思い立った。江戸の料理はいろんな本が出ているが、居酒屋の成り立ちをしっかりとまとめた書籍は見当たらなかった。江戸時代の資料を国会図書館などに通って丹念に集め、2014年に初の単著「居酒屋の誕生」を出版。売れ行きはよく、続けて、江戸四大名物食の誕生を調べた「すし 天ぷら 蕎麦(そば) うなぎ」と、どんぶり物の歴史をまとめた「天丼 かつ丼 牛丼 うな丼 親子丼」も上梓(じょうし)した。我々が当たり前のように食べている料理を、江戸の庶民が生み出していった過程が、多くの挿絵を用いて紹介されている。飯野さんは現在、江戸の晩酌をテーマに執筆を進めているところ。さて、庶民は果たして、どのように酒を楽しんでいたのだろう。(クロスメディア部 小坂 剛)

飯野亮一(いいの・りょういち)】 1938年、東京都生まれ。早稲田大学第二文学部英文学科、明治大学文学部史学地理学科を卒業。服部栄養専門学校で英語や食文化史を教え、後に同校理事もつとめる。食文化史研究家。著書に「居酒屋の誕生」「すし 天ぷら 蕎麦(そば) うなぎ」「天丼 かつ丼 牛丼 うな丼 親子丼」(いずれも、ちくま学芸文庫)最近の晩酌は、もっぱらスコッチウイスキー。
筆者紹介
小坂剛(こさか・たけし) 読売新聞クロスメディア部次長。秋田支局、社会部、メディア局などを経て現職。著書に「酒場天国イギリス」「あの人と、『酒都』放浪」(いずれも中央公論新社)。酒文化の紹介がライフワーク。

→「縄のれんでタイムスリップ、江戸の居酒屋で飲む(下)」

←前編「尾瀬あきらさん『夏子の酒』30年、今だから話せること(上)」

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