モノクロで美しく映える徳利とおちょこ(藤原法仁氏撮影)

 お酒を愛する人々の物語をお届けします。

江戸のエッセンシャルワーカー

 江戸の庶民はどのように居酒屋で飲んでいたのだろう――。前回に続き、居酒屋の成り立ちを解き明かした食文化史研究家の飯野亮一さん(83)の著書「居酒屋の誕生」をもとに、飯野さんと考えてみたい。江戸城に近い鎌倉河岸にあった居酒屋「豊島屋」には18世紀はじめ、商品を売り歩く荷商人や武家の奉公人、馬子、 駕籠かご かき、船頭、日雇いなどが安い酒を求めて集まった。
 肉体を酷使して社会のインフラを支える、いわば江戸のエッセンシャルワーカーたち。「その日暮らしの客が多く、その日の稼ぎから、あくる日使う分を除いたわずかな金で心身の疲れを癒やしていたのではないでしょうか」と飯野さん。町民や下級武士も訪れたが、気性の荒い客も多く、トラブルに巻き込まれないように、身分の高い武士や裕福な商人は顔を出さなかったと、飯野さんはみる。

江戸の錦絵に見入る飯野さん

「こなから」で注文、払いは「割合」

 「『こなから』くんな」。注文はこんな感じ。「 」も「 なから 」も半分の意味で、「こなから」は一升の4分の1、つまり2合半を意味した。現在のおちょうし一本のように、酒を注文する際の単位だったという。一番安い酒を頼むときは、一合四文の酒を二合半という意味で、「 四文二合半しもんこなから 」などと言った。居酒屋での酒の値段は、酒屋で買うのとほぼ変わらなかったという。
 支払いは今と同様に、割り勘で支払われることがあった。割り勘は割り前勘定の短縮形だが、当時は「割合」や「だしっこ」「だしあい」などと呼んでいた。酒を飲む人と飲まない人で、「割合」の方法を巡って意見が対立することもあったらしい。

燗酒を入れるチロリとおちょこ

酒は燗、マグロは下々の食べ物

 江戸で主に飲まれていたのは畿内から運ばれてきた「下り諸白もろはく 」。諸白とは、こうじ 米と、もろみを仕込むのに使う掛け米の、いずれもに精白した米を使ったもの。なかでも、奈良や伊丹、池田などで造られたものは極上とされた。こうした酒は海上を運ばれる際に、酒 だる が波に揺られることで、味がほどよくまろやかになったと伝えられる。
 かんで飲むのが常。居酒屋でも日本酒は銅製のチロリに入れた燗酒が運ばれてきた。酒をもろみのまま濁り酒として飲んでいた時期は温めず飲むのが普通だったが、16世紀後半にもろみをこして清酒を造るようになってからは、年間を通じて燗になった。飯野さんは「当時の清酒はかなり辛口で、燗にするとまろやかでおいしくなったためだろう」と考えている。
 当時の居酒屋のメニューに書かれているのは、ふぐ汁や鮟鱇あんこう 汁、マグロとネギを煮たネギマ、マグロの刺し身、湯豆腐、おからをみそ汁に入れたカラ汁など。当時、タイは上流階級の食べ物、マグロは下々が食べる魚の代表だった。

著作を手にする飯野さん

酒は親孝行の証し

 一人飲みが広まったのも江戸の特徴だ。万葉集で歌われたように、古代から悲しみや寒さをひとり酒でしのぐことはあったようだが、もともと酒は神とともに飲むもの。神前に酒や食事をささげた後、みんなで飲食する直会なおらい が行われた。それが大勢で酒を酌み交わす酒宴(酒盛り)に発展した。酒の流通量も限られていたため、特別なときに大勢で飲む「集飲」が一般的で、一人で酒を飲む機会は少なかった。それが、江戸時代になって酒が市中に出回り、長屋などでの「独酌」が庶民にも広まる。
 「江戸時代、一日の疲れを癒やし、快眠へといざなう晩酌を楽しむ習慣が広まった」と考える飯野さんが注目するのは、善行を積んだとして町民や農民を表彰した「孝義録」という史料。ここに、酒好きの親に酒を買ってあげた息子が「親孝行」として表彰された例が多く載っている。庶民が自宅で晩酌を楽しむようになっていたことを裏付けるものと、飯野さん。酒は親孝行の証しだったのだ。
 親の健康状態によっては、酒を飲ませてあげることが「親不孝」につながりかねない昨今だが、江戸時代、酒は飲みすぎなければ「百薬の長」、健康にいいと考えられた。

杉の葉でつくった酒林が居酒屋に現れるのも江戸時代から(豊島屋酒店にて)

江戸の移動コンビニ

 家飲みを可能にしたのが、食べ物を売り歩いた振り売りと呼ばれる荷商人と、すしや天ぷらなどを提供する屋台。江戸には6000人近い振り売りがいた時期もあり、式亭三馬の滑稽本「浮世風呂」には、納豆やアサリ、ハマグリ、醤油しょうゆ のもろみ、漬物、魚、だんご、豆腐、かば焼きを売り歩く振り売りが登場する。大福餅やゆで卵、おでん、麦飯、汁粉、そばも売られ、「まさに移動コンビニの感がある」と飯野さんは書いている。長屋で、酒屋から借りた貧乏 徳利とっくり の酒を飲みながら、「テイクアウト」した豆腐やかば焼きをさかな に、というぜいたくな家飲みもできたのだ。
 「もし江戸時代にタイムスリップできるなら、どんなふうにお酒を楽しみたいですか」。当然、居酒屋か長屋で晩酌だろうと思いながら、飯野さんに聞いた。1分ほど考え込んだ後、飯野さんは「居酒屋で飲んでも今とそう変わらないだろうから、きらびやかな女性がお酌をしてくれ、一流の板前さんの料理が出てくる高級な料理屋がどんなだったか見てみたいですね」と満面の笑みを浮かべながら言った。うーん、なるほど。(クロスメディア部 小坂 剛)

飯野亮一(いいの・りょういち)】1938年、東京都生まれ。早稲田大学第二文学部英文学科、明治大学文学部史学地理学科を卒業。服部栄養専門学校で英語や食文化史を教え、後に同校理事もつとめる。食文化史研究家。著書に「居酒屋の誕生」「すし 天ぷら  蕎麦そば  うなぎ」「天丼 かつ丼 牛丼 うな丼 親子丼」(いずれも、ちくま学芸文庫)最近の晩酌は、もっぱらスコッチウイスキー。

<筆者紹介>
小坂剛(こさか・たけし) 読売新聞クロスメディア部次長。秋田支局、社会部、メディア局などを経て現職。お酒と食べ物に好き嫌いなし。著書に「酒場天国イギリス」「あの人と、『酒都』放浪」(いずれも中央公論新社)。酒文化の紹介がライフワーク。

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