お酒を愛する人々の物語をお届けします。

高台のブドウ畑で

昨年6月に完成した「かわうちワイン」の醸造施設

 福島県川内村、阿武隈の山々に囲まれた標高750メートルの高台、南向きの斜面にブドウ畑「高田島ヴィンヤード」が広がる。道路を一本隔てた高い場所には昨年6月に完成した「かわうちワイン」の醸造所。さらに、その上にある畑で今年4月、約40人のボランティアが苗木を植える作業に汗を流した。
 「水をかけながら土をかぶせて埋め戻し、苗木の周りをしっかりと踏み固めてください」。指導するのは栽培・醸造責任者の安達 (たかし) さん(35)。東京農大で醸造を学び、山梨や青森でワイン造りを経験したあと、一昨年12月に移住してきた。シングルファーザーとして小学生の娘を育てる安達さんは、「ブドウの栽培は自然相手、発酵は科学相手、そしてワインの販売は人間相手。ワイン造りは総合力が試されるから、やりがいがある」と手応えを感じている。

娘を育てながらワイナリーで働く安達さん

 スコップで直径40センチ、深さ50センチほどの穴をあけるグループと、穴に苗木を立てるグループに分かれて作業は進んだ。ゴツッ。スコップが鈍い音をたてると、花こう岩の塊を掘り出して畑の外へと運ぶ。2日目はブドウを沿わせる支柱もたて、2日間の作業で約1000本の苗木を植え付けた。参加者はイワナの養殖場を併設したコテージのある施設「いわなの郷」や旅館に宿泊し、初日夜はバーベキューでイワナのムニエルと、かわうちワインのマリア-ジュを楽しんだ。

謝るだけでは信頼関係はできない

 約40人のボランティアに参加を呼びかけたのは、かわうちワイン業務執行取締役の北村秀哉さん(60)。川内村のワイン造りの発案者であり、けん引役だ。かつては東京電力の原子力発電事業に従事していた。
 北村さんがワインに目覚めたのは東京電力時代の1997年から3年間、フランス・パリに駐在したときのことだ。ワインに興味を持ち、出張のついでにフランス各地のワイナリーを訪ね、歳月を重ねて味わいを増すワインの不思議な魅力に引き込まれた。東日本大震災後の2014年2月に東京電力復興本社に異動が決まると、福島でのワイン造りを思い立った。
 福島は果樹栽培も盛んで気候も悪くないのに、どうしてワインを造っていないのかと、以前から不思議だった。ぶどうの苗木を植えるところから始め、風評を 払拭(ふっしょく) する良いワインがつくれないか。大好きなワインの事業なら、仕事を離れてライフワークとして取り組めそうだ。
 ワインを飲むのは好きでもブドウの栽培や醸造の経験はない。最初に海外でも評価の高いワインを生産している山梨県・中央葡萄酒の三澤 茂計(しげかず) 氏を訪ね、そこを起点に山梨大ワイン科学研究センターや福島大学に相談し、協力を取り付けた。下準備のあと、15年に知り合いの紹介で川内村の商工会と役場に話を持ちかけた。
 川内村は原発事故で全村避難を強いられた。事故後、東電幹部は謝罪を繰り返した。住民が村に帰還し、その日常が戻った今も、東電に複雑な思いを抱く住民は少なくない。だが北村さんは、「謝っているだけでは信頼関係は築けない。地域の人々と同じ目標に向かって苦労しなければ」と考えていた。

4月に苗木を植えたボランティアたち

 ブドウを栽培してみたいという人が見つかると、中央葡萄酒が住み込みで研修を受けさせてくれた。復興庁のモデル事業に応募して苗木を購入する原資を確保した。計画に賛同する村民も加わり、村有地を開墾し、16年4月に約2千本の苗木を植えた。天候に恵まれず、ブドウが不作の年もあった。途中で経営スタッフや働き手も交代し、先行きを不安視する声が村内でも出た。北村さんがブドウ栽培や醸造の専門知識をもった安達さんを見つけたことで道が開け、21年に国の交付金で醸造所が完成、今年3月に初出荷にこぎ着けた。

原発事故で消えたトラムの計画

 北村さんが原子力発電の技術者となった原点は、12歳の年に起きた第1次オイルショックにある。自宅マンションの窓から見えていた渋谷の街からネオンが一斉に消え、トイレットペーパーの買い出しに急ぐ人がいた。夏休みの自由研究で日本のエネルギーについて図書館で調べた。太平洋戦争へと日本が突入した原因のひとつはエネルギー問題だったし、これからも資源のない日本でエネルギーをどうするかが重要に思えた。振り返ると、この体験が大学院で原子核工学を学ぶことにつながった。
 東電で最初に配属されたのが福島第2原発。入社から15年以上、福島や新潟の原発、東京の本社で原子力の技術者として働いた。40歳を過ぎたのを機に、電力を消費する側で新たな社会的価値をもたらす仕事をしてみたいと思い、希望して新規事業の担当になった。手掛けたのがトラム(新型路面電車)だった。2020年に予定されていた東京オリンピックに向け、東京駅から銀座、築地を通って豊洲や晴海へと至るルートを計画した。人口が増えている臨海部からの通勤、来日外国人の観光でも需要がある。実現に向けて社内で検討を進めていったが、原発事故で断念せざるをえなかった。福島への3度目の赴任は、原発事故の3年後。以来、仕事の合間を縫ってワイン事業の創出に新たな情熱を注いできた。

正念場はこれから

 ここ数年、日本はワイナリーの新設ラッシュだ。国税庁によると、2017年の283か所から21年には413か所と1.5倍に増えた。国産ブドウを使ったものを日本ワインと表示するルールができ、日本ワインへの関心が高まったことが背景にある。ただ、海外に比べてブドウの栽培に手間やコストがかかり、ビジネスとして成り立ちにくい面があるのも事実だ。ワイナリーの46%が営業赤字もしくは50万円以下の営業利益というデータもあり、規模の小さいワイナリーほど経営は厳しい。
 川内村のワインも行政の後押しでスタートした。安達さんら3人の働き手は国の地域おこし協力隊の制度を活用し、3年間の期間限定で公費から給料が支払われている。統括マネジャーは役場からの出向職員だ。3億円を超す醸造施設の建設費には、震災・原発事故からの復興を目的とした公費がつぎ込まれており、行政依存からの脱却が今後の課題となる。
 北村さんは「自立するには、良いブドウを育て、品質で選んでもらえるワインを造っていかないと。生産量も増やし、川内村の自然や文化の魅力との相乗効果でファンを増やしていきたい」と表情を引き締める。

産声をあげた「かわうちワイン」

 初年度の生産は1万1千本で、白ワインとロゼの2種類をまず発売した。今後、赤ワインやスパークリングも順次販売していく。白ワインは3150円(750ミリリットル)、ロゼは1870円(500ミリリットル)。白は香り高く、酸味が際立つ仕上がりに、ロゼはやや甘みが強い仕上がりになっている。今後、川内村の魅力や物語を織り込んだブランドにどう育てていくのか。苦労の末にたどりついた初出荷はスタートに過ぎない。これからが「かわうちワイン」、そして北村さんにとっての正念場だ。(クロスメディア部 小坂 剛)

北村秀哉(きたむら・ひでや)】1961年、福岡県北九州市生まれ。幼少の頃に父の転勤で東京に移り、その後、東京で育つ。都立新宿高校から東京工業大学(材料工学)に進み、同大学院(原子核工学)をへて86年に東京電力に入社。2002年までは原子力関係の仕事に従事。1997年から3年間パリに駐在したときにワインに目覚めた。川内村の風景は、ワイン銘醸地・仏ブルゴーニュ地方にどこか似ていると感じている。現在はかわうちワイン株式会社の業務執行取締役(無給)を務めると同時に、ふくしまワイン広域連携協議会事務局長、テロワージュふくしま実行委員長など、福島の食と酒を発信する活動にも取り組んでいる。東京電力復興本社の嘱託社員。

<筆者紹介>
小坂剛(こさか・たけし) 読売新聞クロスメディア部次長。秋田支局、社会部、メディア局などを経て現職。お酒と食べ物に好き嫌いなし。著書に「酒場天国イギリス」「あの人と、『酒都』放浪」(いずれも中央公論新社)。酒文化の紹介がライフワーク。

←「川内村のワインが『天の酒』になる日、蛙の詩人が愛した阿武隈の地で」

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