お酒を愛する人々の物語をお届けします。

お前のサンタはもういない

 小学校4年か5年のクリスマスの朝だったか。目が覚めると、前の年までと様子が違った。包装紙に包まれたプレゼントはない。代わりに置かれていたのは封筒。父の字で「お前のサンタクロースはもういない。これで好きなものを買いなさい」という手紙とお金が入っていた。
 お父さんはどういう方だったんですか。栃木県足利市のココ・ファーム・ワイナリー専務、池上知恵子さん(71)に尋ねたときのことだ。池上さんは、冒頭の思い出を紹介し、「泣ける話でしょ」と言った。母からオルゴール付きの枕を妹と買ってもらったときも、「ぜいたくをするな」と怒られそうで父には内緒にした。そのくらい厳格で、仕事のことしか頭にない父だったが、何げないことが記憶に残っている。

知的障害者と生きる

池上さんの父、川田さん

 その父・川田昇さん(1920~2010年)は当時、足利市の中学校に新たに特別支援学級をつくった。1958年から、私財を投じて山の急斜面に土地を購入し、知的障害を持った生徒たちと雑木林を開墾してブドウ畑を作った。自然のなかで体を動かすことは、彼らの情緒を安定させ、心身の健康にも役立つ。そう信じた川田さんは、山の麓のバラック小屋に泊まり込み、家にはほとんど戻らなかった。たまに自宅に戻ると、地下足袋を履いたまま室内に上がり、書類を持って出ていった。
 貧しい農家に生まれた川田さんは、太平洋戦争で満州(現中国東北部)に出征するが、結核が再発して戦闘の最前線には送られなかった。仲間が次々と戦死するなか、自分だけが生き延びたことに罪悪感を覚える。それからの人生は何か人のために尽くしたいと考えていた。教師として赴任した学校で、居場所のない知的障害者の存在を知った川田さんは、戦後、彼らとともに生きていこうと決意したという。

ブドウにも人間にもいい急斜面

 筆者が取材に訪れた今年3月、池上さんは、川田さんたちが開墾し、今はワイン用のブドウが育つ畑を見下ろす高台に車で連れて行ってくれた。平均斜度は38度、アクセルを強く踏まないと車がずり落ちそうな山道。「日当たりと水はけがいいからブドウがよく育つ。子供たちは上り下りするだけで運動になるから、お腹がすく。たくさん食べてぐっすりと眠る。雑草を刈っても、終わった頃にはまた生える。ブドウにも子供にもいい場所だと父は思ったようです」
 川田さんは中学校を退職し、ブドウ畑のそばに、知的障害者の支援施設「こころみ学園」をつくった。 最初は生食用のブドウを育てていたが、園生の家族が資金を出し合って有限会社「ココ・ファーム・ワイナリー」を設立。安定した収入を得るためにワイン造りに乗り出した。東京で編集者をしていた池上さんも、東京農大で醸造学を学んだあと、古里に戻った。

「風に吹かれる係」に感謝

 失敗を恐れず、何でもやってみよう。そんな思いで名付けられた「こころみ学園」で、職員と園生は同じ場所に住み、同じものを食べた。自然のなかで質素な生活と、労働を大切にした。川田さんが設備の整った近代的な施設で働いたとき、入所者の意欲が失われるのを目の当たりにした経験が影響した。
 園生の多くは、字を書くことや、会話での意思疎通は難しい重度の障害があった。だが、滑り落ちないように急斜面に踏ん張って、草を刈り、石を拾ううち、見違えるように表情が明るくなっていった。トイレに行けるようになったり、感情を制御できるようにもなったりする効果がみられた。

ブドウ畑で作業する園生

 それぞれができることを――。草を刈るのが好きな園生もいれば、畑の一角にただ立ったままの園生も。でも、近くのブドウ畑がカラスの被害にあったとき、池上さんは、この「風に吹かれる係」と呼ばれた園生に「あなたのお陰で、ここはカラスにやられなかった。お疲れさまです」と頭を下げた。

「最高の一本」を

 川田さんは2010年に89歳で亡くなったが、日本のワイン業界でいま、「ココ・ファーム・ワイナリー」を知らない人はいない。
 障害者が生産に参加しているからではなく、世界に通用するおいしいワインだから買いたいと思ってもらえる「最高の一本」をつくる。そんな川田さんの願いが実現したからだ。2000年の九州・沖縄サミットではスパークリングワイン「1996NOVO」が、08年の北海道洞爺湖サミットで赤ワイン「2006風のルージュ」が、それぞれ関連行事でふるまわれた。ワイン造りを始めた1984年は1万2000本、園の畑から取れたブドウをワインにするだけだったが、いまでは質の高いブドウを生産する北海道や山形、長野などの契約農家からもブドウを仕入れ、毎年20万本を生産している。
 こころみ学園には3月1日現在で、21歳から87歳まで93人が暮らしている。入所が長期化し、平均年齢は約56歳と高齢化が進んでいる。それでも、学園設立当初の「重度の障害をもつ人が治療効果を上げながら仕事ができる施設を」という理想は健在だ。普通のブドウ園やワイナリーであれば機械で省力化する工程を、園生の作業になるからと、手作業のまま続けている。

ボトルを逆さにして澱(おり)を瓶口に集める

 例えばスパークリングワイン。フランス・シャンパーニュ地方で伝統的に行われてきたルミアージュという手法を取り入れ、瓶を逆さに並べ毎日決まった時間に手で回している。ブドウの房一つ一つに傘をかける作業もそう。1シーズンで17万枚をかける。「園生は普通なら飽きちゃうような単調な作業でもコツコツと続けるのが得意。手間がかかって面倒なのでやめよう、となるところを、ここでは、人の手がたくさんかけられるからやろう、となるんです」。池上さんは目を細めた。

助け 助けられ 助けようとして

 「助け 助けられ 助けようとして」。川田さんが晩年、よく口にした言葉を、池上さんは思い出す。その意味を深く考えたことはなかった。だが、最近わかったような気がした。生まれてきた赤ん坊は必ずだれかの助けを借りる。長い時間軸で見れば、同じ人間が、人を助けるときと、人に助けられるときが必ずある。私は助ける人、あなたは助けられる人、と単純に言い切ることなどできない。

「目の前のことしか考えてこなかった」と振り返る池上さん

 健常者と障害者、施設の職員と福祉サービスの利用者、勤務時間と残業時間。国は社会福祉と労働環境を充実させるため、多くの分類を設けてきた。だが、分けることで見えなくなることもある。
 学園ができて間もない時期、職員と入所者が時に家族や友人のように呼び合った。深夜まで汗を流し、時には厳しく接しながら、働く喜びをかみしめた。ワイナリーに併設されたカフェのモニターに、そのころの畑での作業をとらえたモノクロ写真が映し出される。池上さんは「昔の人って生き生きとしていたと思わない?」と口を開いた。畑で土にまみれ、白い歯を見せる人のうち、だれが園生でだれが職員かわからない。
 川田さんはこうも言った。「消えてなくなるものにこそ、渾身(こんしん)の力を注げ」。池上さんは、「消えてなくなるもの」とはブドウやワインと考えていた。だが、それは合理性や効率という物差しで評価しきれない人間という自然そのものではなかったか。「そろそろ自分の人生もあと何年と感じるようになって、父が言おうとしてきたことは、こんなことだったのかなって、()に落ちてきたのよね」。池上さんはそうつぶやくと、柔らかな表情で長い沈黙に入った。(クロスメディア部 小坂 剛)

池上知恵子(いけがみ・ちえこ)】1950年栃木県足利市生まれ。東京女子大卒業後、草思社で編集者として勤務。結婚・出産後に東京農大で醸造学を学んだあと、足利市に戻り、ワイン事業の営業やブランディング、経営を担当。妹で、こころみ学園を運営する社会福祉法人「こころみる会」統括管理者の越知眞智子さんと運営の中心を担っている。

<筆者紹介>
小坂剛(こさか・たけし) 読売新聞クロスメディア部次長。秋田支局、社会部、メディア局などを経て現職。お酒と食べ物に好き嫌いなし。著書に「酒場天国イギリス」「あの人と、『酒都』放浪」(いずれも中央公論新社)。酒文化の紹介がライフワーク。

→「思いつなぐココ・ファーム・ワイナリー、空が青い、ワインがおいしいという幸せ」

←「有機農業の里、武蔵ワイナリーという新天地」

あなたへのおすすめ記事