天守閣の高欄からは相模湾を南方に見渡し、吹き渡る薫風が肌に心地良かった。1960年に江戸時代の姿に復元された神奈川県小田原市の小田原城天守閣は、街のシンボルである。そこから10分ほど歩くと、小田原の味と雰囲気をたっぷり感じられるラーメン店「鯵壱北條(あじいちほうじょう)。」に行きつく。

小田原城天守閣。高さは27.2メートルあり、全国7番目、東日本の城で最も高い


天守閣内では昔の小田原周辺が模型で再現されている


天守閣の高欄から相模湾を望む

黒光りする梁、大正時代の趣

 開店11年の店は、歴史的な景観整備が進み、しっとりとした風情が漂う地区にある。古民家を改装したような、いかにも歴史を感じさせる外観だ。「味わいのある建物ですね」と、厨房で忙しそうにしていた店主の林祐司さん(52)に声をかけると、「関東大震災のあった大正12年(1923年)に、震災のあと建てられたそうです。古いでしょ。ほら、あの辺なんかも」と言い、むき出しになった天井の黒光りする太い(はり)を見上げた。

古い民家を改装した鯵壱北條の外観


入り口にある店の幟


店内は広い。奥にある日本間のテーブル席


入口に近いカウンターとテーブル席


入口から見た店内

濃厚なスープに鯵粉がからむ

 券売機はない。林さんに一番人気の鯵醤油(あじしょうゆ)ラーメンを注文する。出来上がったラーメンはインパクトがあった。木桶(きおけ)に入っているからだ。一般の丼のように底が狭くなっていないから分量も相当ありそうだ。さっそくスープからいただく。鶏と豚の濃厚なスープに鯵粉(あじこ)と醤油の風味が加わり、クリーミーでまったりとしたうまみが広がった。

林さんが木桶にラーメンのスープを準備する


自信作、鯵醤油ラーメンのポスター

 林さんが説明する。「鯵と名乗っているので、鯵を使っているんですが、基本的に8種類くらいの鯵の節、煮干しを細かく粉砕し、ブレンドした鯵粉を使うのがうちの特徴です。これに豚と鶏のスープを合わせています」。豚と鶏は、骨は使わず、肉だけからスープをとっている。肉のうまみを凝縮したスープがおいしいという結論に達したからだという。

鶏と豚のスープは別々に入れる


ハンドミキサーでスープを混ぜる


麺を整える

麺は滑らかな自家製麺

 低加水の中細麺は、このスープによくなじんでいて、とてもなめらかだ。自家製麺は、店の裏手にある製麺機で、2種類の国産小麦をブレンドし、毎日つくっている。打ち立てをすぐに出すのではなく、2日くらい寝かせてから使う。それが、なめらかさの秘密なのだそうだ。

自家製の中細麺はなめらかで、スープによく合う


店の裏手にある製麺機

 ラーメンのてっぺんに、桜の花びらがあしらわれた蒲鉾(かまぼこ)が載っている。小田原といえば、蒲鉾が名産。近くの老舗「籠淸(かごせい)」から仕入れているそうで、ぷりぷりの食感に「さすが小田原」と感じ入る。トッピングはほかに、もち豚のモモ肉の自家製チャーシュー、小田原産黒豆の細いもやしとネギ、メンマ、海苔(のり)が添えられ、白ごまが振りかけられている。

味変はペーストで

鯵塩ラーメンには、海苔の上に鯵粉がのる。右は、3種類のペースト

 ラーメンと一緒にいつも提供されるという3種類のペーストで、味の変化を楽しめるのもうれしい。この日は、地元産の梅、自家栽培の葉タマネギ、ローストガーリックだった。これらのペーストは時期によってランダムに変わるそうだ。梅の酸味、葉タマネギの鼻に抜ける爽快感、ローストガーリックの香ばしさ。どれも意外なほどスープに合う。
 生まれて初めて食べた木桶に入ったラーメンは意外性もあっておいしかった。スープの量もたっぷりあり、お(なか)いっぱいの満足感に浸った。

水やお茶はセルフサービス

江戸時代は桶屋

 それにしても、なぜ木桶でラーメンを出すアイデアが生まれたのか。「店のあるこの場所が江戸時代、桶屋だったからですよ」と、林さんがあっさりと言う。ただ、実際に木桶で出すには随分苦労があったそうだ。アイデアは良かったのだが、一般の木桶では、使っているうちにスープが漏れ、1か月もしないうちに使い物にならなくなるという。

ずらりと並ぶラーメンの木桶

 あちこち探し回った末にようやく見つけたのが、特殊な撥水(はっすい)コーティング技術を持つ堺市の会社だった。歴史好きのその社長は、戦国時代に小田原を統治した北条氏が、豊臣秀吉との戦に敗れた後、高野山(和歌山県)に蟄居(ちっきょ)したことを指摘し、「関西と小田原はつながりがある。その仕事、引き受けよう」と、水漏れせず、健康にも害のない特製の木桶をつくってくれることになった。店では今も、その桶を3、4年ごとに新品に交換しながら大事に使っている。

店舗前に置かれたメニュー


趣のある坪庭

「小田原を盛り上げたい」

ラーメンのメニュー。限定ラーメンもある


限定ラーメンの説明

 地元出身の林さんは、沖縄の飲食業界で約10年働いた後、小田原に戻り、友人たちとこの店を開いた。「その後、仲間同士で意見が合わなかったり、いろいろなことがあったりして、1人抜け、2人抜けして、ぼくだけが残ったんです」と説明する。
 店名は、かつて小田原にあり、地元の人々に愛されたラーメン店「味一」と、北条氏の音の響きをもらった。壱が付くから、店のオープンは2011年11月1日。林さんは、一番の味を目指し、改良を続けてきた。創業時は、小田原産の鯵を使い、スープをとっていたが、水揚げ量がだんだんと減り、今は鳥取県の境港産や長崎県産を使っている。だが何よりも大きいのは、鯵の干物を使わなくなったことだ。味を安定させることが難しいためだという。林さんは「どうしても朝と夕ではスープの煮詰まり方が違い、味が変わってしまう。魚は季節によっても違う。安定した味を出すために節や煮干しに切り替えたんです」と話す。

店の前の通りは古い町並みの風情がある

 ようやく外国人観光客も戻ってくる兆しが出てきて、小田原も活気づいてきた。林さんの期待も自然と高まる。「もともと観光客の多い店です。小田原愛にあふれたラーメンをぜひ食べにきてほしい」。その声に力強さがあった。

店舗前で「観光客の方、待っています」と話す林祐司さん


森太さん
森 太(もり・ふとし)

読売新聞編集委員。ロンドン駐在中に日本のラーメンの魅力を再発見。アフリカ、欧州、社会部、国際部、運動部を遍歴し、読売新聞の英字新聞「The Japan News」デスク。The Japan NewsでRamen of Japan 連載しているほか、Delicious, Beautiful, Spectacular Japanを担当している。


【英語版はこちら】

Ajiichi Hojo / Modern flavors in a history-steeped building

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